スウェーデンは孤立するのか

2023-01-24 (火)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 3 日>(先負 壬午 一白水星) Erika 第 4 週 第 27013 日

 

昨年2月のロシアのウクライナ侵攻がきっかけとなって、スウェーデンフィンランドと手をつないで NATO に加盟したいと言ひ出したのは昨年の5月ごろのことであった。関係諸国からは歓迎される様な雰囲気もあったのだが、いまだにその実効的な加盟は実現しさうにない。といふか、むしろ、加盟は難しい方向に動いてゐる。去年の秋にはスウェーデンで選挙があり、その結果、政権交代もあったのだが、NATO への加盟希望といふ点では国の方針が揺れることはなかった。しかし、この話が持ち上がった当初から、トルコはスウェーデンがテロリストを匿ってゐると言って、NATO への加盟を認めない方針を続けてきた。それが、今年になってさらに先鋭化した感じがある。最近のテレビのニュースを見ると、ストックホルム市内で、エルドアン大統領とそっくりの人形を空の高いところから逆さまに吊り下ろしたり、イスラム教の聖典であるコーランに火をつけたり、何とも過激な行動がスウェーデン側に見られるのである。一部の活動家によるものであらうけれども、このことで、トルコは怒ってしまって、1月27日に予定されてゐたスウェーデン防相のトルコ訪問も中止になってしまった。もはやトルコはスウェーデンNATO加盟に決定的なノーを宣言した形である。こんなニュースを見ると、スウェーデンのやり方は悪かった、過激な行為はもっと厳しく取り締まるべきであった、和を尊ぶべきであったと僕は思ふ。ロシアはこの状況を面白がって見てゐるかもしれない。スウェーデンフィンランドとはふたつ並んでNATOへの加盟を申請したのであるけれども、場合によっては、フィンランドが単独に行動するシナリオもあるかもしれない。さうなると、スウェーデンは孤立してしまふのではないかと心配になる。

Nyköping川で。正面の塔は Västra Klockstapeln。

 

スウェーデンの宅急便

2023-01-23 (月)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 2 日>(友引 辛巳 九紫火星) Frej Freja 第 4 週 第 27012 日

 

スウェーデンにも宅急便に似たサービスはある。けれども受け取るばかりの利用で、自分から荷物を発送する時は使ったことがない。といふか、荷物を発送する時には近くのスーパーのカウンターに持ち込んで送ることになるが、これは従来からの郵便局に相当する Postnord に頼むことになる。スーパーが Postnord の業務を代行する形である。ただ、Postnord はあまり信頼が置けない場合がある。これまでにも届くはずだった品物が届かなかったことが何度かあった。例へば、ずいぶん前の話だが、「外国から送られて来た品物があるが家まで届けて欲しければ税金を払ひなさい」と Postnord から連絡が来て、そのお金を送ったのにいつまで経っても届かないものだから電話して尋ねると、どうも品物が行方不明らしい。それなら払ったお金だけでも返してくださいと言ってその分だけは返してもらったこともあった。その品物は日本の誰かが送ってくれた可能性が高いが、税金を払ふ時に送り主の名前も教へてくれないので不親切である。この他にスウェーデン国内では Apple で買った部品が届かなかったこともある。その場合は Apple が別の運輸会社を使って送り直してくれた。もしも配達員がこっそり品物を盗むのであれば程度の低い話だと思ふ。今では Postnord 以外に荷物を届けてくれる会社が増えた。品物をネットで注文すると、いづれかの運輸会社が届けてくれる。IKEA などのデパートでは、運輸会社を使はずに自社の配送システムで届けてくれるやうであるが、届くのに2週間以上かかることもあった。その点、運輸会社に任せた方が配達は速いと思ふ。小さい商品であれば、近くのスーパーの配達ロッカーに届いて、ロッカーの扉を開けるための PIN CODE がスマホに届く様になってゐる。これはこれで便利である。大きな商品になるとそれもできないから、家まで配達してくれる。DHL などは配送の信頼性は高いのだが、場合によっては、家まで来てくれないでサービスポイントまで取りに来いと連絡が来る場合もある。家から3キロほども離れてゐるので大きいものだと自動車で取りに行かねばならない。どんな場合に家まで配達してくれて、どんな場合にサービスポイントまで取りに行かねばならないかが、その時になるまでわからないのが、DHLを利用するものには不便なところである。家に届いてないのに、配達は完了したよとスマホに連絡があったので、をかしいと思って焦って調べると、サービスポイントまで配達したから後は自分で取りに来いといふ意味であったことが後でわかったこともある。ところで、今日も配達がひとつあったのだが、これまでに体験した中では一番サービスが良かった。家に配達して来る時間帯は 16:50 から 17:50 の間です、とスマホに連絡が来たのだ。1時間の精度で配達時刻を指定してくれるとは、この国では素晴らしいことと思った。家には 17:20 に届いて、届くとすぐにスマホに配達完了の通知も来た。素晴らしい。budbee といふ運輸会社であった。

今日も寒かった。

 

平家物語 巻第四 「永僉議(ながのせんぎ)3」

2023-01-22 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 1 日>(先勝 庚辰 八白土星新月 Vincent Viktor 第 3 週 第 27011 日

 

すると、乗圓房の阿闍梨慶秀といふ老僧が進み出た。衣の下に腹巻きをし、大きなる打ち刀を前垂れにさし、法師頭を包んで、白柄の大長刀を杖につくといふいでたちで、僉議の庭に進み出たのである。「ゴタゴタと他のことを言ってゐる時ではないだらう。我らの本願である天武天皇は(三井寺創建の願主は天武天皇であったが、実際には滋賀の豪族大友与多が天武天皇の勅許を受けて三井寺は創建されたと注記にあり)、まだ東宮でゐらっしゃった時、大友皇子にご遠慮なさって、吉野の奥を出て大和国宇多郡を通過なさる時は、その勢わづかに十七騎であった。されども伊勢・伊賀にうち越え、美濃・尾張と進むにつれて軍勢が膨れ上がり、その勢ひで大友皇子を滅ぼして、ついに位につかれたのである(壬申の乱)。「窮鳥懐に入る、人倫これを憐れむ」と言ふ言葉もある。他の人はどうか知らぬが、他ならぬこの慶秀が門徒においては、今夜六波羅に押し寄せて討ち死にせよや」と檄を飛ばした。円満院大輔源覚も進み出る。「議論がどうでも良いことに空回りしてをる。夜はどんどん更けてしまふぞ。急げや進め」と叫んだ。

久しぶりに氷点下5℃まで下がって、Stockholm への道中に数々の美しい樹氷を見た。

 

平家物語 巻第四 「永僉議(ながのせんぎ)2」

2023-01-21 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 12 月 30 日>(大安 己卯 七赤金星) Agnes Agneta 第 3 週 第 27010 日

 

この三井寺の僧たちの議論の中に、一如房の阿闍梨眞海といふ人がゐた。以前何かの折に平家のために祈祷したことのある人物である。この人は弟子同宿数十人をひきぐして、僉議の庭に進み出て次の様なことを言ひ出した。「私がこんな風に申し上げると平家の味方であるかの様にお思ひになるかもしれません。たとひさう思はれたとしても、言はせてください。今行動することは、衆徒としての義理をやぶり、我が寺の名を惜しまぬことになりはしませんか。昔は源平は左右に争って、皇室のお護りについたものでしたが、近頃は源氏の運は傾いてしまひました。平家が世を取って二十余年になります。今や天下になびかぬ草木もありません。六波羅の邸宅の有様から考へても、少数でかかってたやすく攻め落とされることはないでせう。よくよくほかに作戦を練って、軍勢をもっとたくさん集めてから、後日に攻撃をかけるべきではないでせうか」と、時刻を引きのばすために長々と会議を続けるのであった。

どんよりと曇った一日であったが、今日は急に気圧が高くなった。

 

平家物語 巻第四 「永僉議(ながのせんぎ)1」

2023-01-20 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 12 月 29 日>(仏滅 戊寅 六白金星)大寒 Fabian Sebastian 第 3 週 第 27009 日

 

三井寺ではまた大衆が集まって会議を開いた。「山門(比叡山)は頼りにならないし、南都(興福寺)の援軍はまだ到着しない。ここでむざむざ時間をのばしては良くなからう。いざや六波羅に押し寄せて、夜討ちをかけやうではないか。」「それならば老少二手に分かれるが良いぞ。老僧どもは如意が峯より搦手(城郭などの背面)に向かふが良い。足軽ども四、五百人先立て、白河の民家に火をかけて焼き上げれば、京に住む人や六波羅の武士たちは「あはや事件がおきたぞ」と言って、現場に急行するであらう。その時、岩坂・櫻本のあたりでおびき寄せて、しばらくの間支へてもらふ。かうして戦ってゐる間に、大手(城郭などの前面)は伊豆守を大将軍にして、悪僧どもが六波羅に押し寄せ、風上に火をかけ、ひともみ揉んで攻めれば、太政大臣が焼き出されて出て来るであらう。そこを討ち取るのだ。」と話し合った。

今日は大寒だが、気温はプラスであった。

 

偶然の意味

2023-01-19 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 12 月 28 日>(先負 丁丑 五黄土星) Henrik Henry 第 3 週 第 27008 日

 

「偶然に意味はあるのか」これは誰の人生にとっても大きな問題ではないかと思ふ。自分のこれまでの人生を振り返ると、この世に生まれたことも偶然かもしれない。小・中学校で色々な人と同級生になったのも偶然かもしれない。大学受験とか就職になると自分の意思が働くけれども偶然の要素もかなり大きい。会社を途中でやめてスウェーデンに移った時はどうか。それは見方によっては自分の意思で決めたとも見えるが、内面では見えざる糸に導かれて行動したまでに過ぎない。こんな風に振り返ると、どんな偶然にも、きっとそれなりの意味があるのだと思はれてくる。この宇宙には何かしら意思が働いてゐるのだといふ風なことを思ってしまふ。でもこれはある意味では危ない考へである。唯物論的な見方に立てば、万物は単に原子からできてゐるのであり、1個1個の原子の運動に意思があらうはずはない。そこには善もなければ悪もない。それで、この矛盾する様な二つの面をひとつの身に収めて生きていくしかないのだと思ふ。都合の良い時に都合の良い方に解釈するといふ意味ではなくて、二つの面が矛盾してゐる様に見えるのは、自分が既成の固定観念に囚はれてゐるからであり、本当に自由に心を遊ばせれば、矛盾でもなんでもない世界が待ってゐる様な気がする。

まだ寒のうちなのに、春の予感を思はせる様なお天気であった。



フィーカ

2023-01-18 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 12 月 27 日>(友引 丙子 四緑木星) Hilda Hildur 第 3 週 第 27007 日

 

スウェーデンでもコロナは依然流行ってゐるらしいのであるが、あまりニュースとして大きく取り上げられることがない。また、人々はそのことに神経を尖らせない。マスクをした人も、町でほとんど見かけない。日本ではマスクをしないでゐると、今尚、後指を指されさうな雰囲気があるが、こちらにその様な雰囲気が全くないのはありがたいことである。あのマスクといふものは、長くつけ続けると不快になるものだが、日本人はその点、辛抱強いと思ふ。僕の場合、外出する時はパスポート入れを肩から斜めかけにして出かけるのであるが、旅行中ではないので、パスポートは入ってなくて、スマホとカードを数枚入れてある。いや、もう一つ、その小さいポケットにはマスクが入れてあるのだが、長く使ってないので、今日チェックしてみたら、底の方に丸まってまだ入ってゐた。こんな感じであるから、お茶に呼ばれることがあっても、マスクなしでお邪魔して、マスクなしでお話をして、日本人が見たら油断してゐる様に見えるかもしれないが、コロナのことは横に置いて、普通の生活ができるのはまことにありがたいことであると思ふ。今日は今年初めてフィーカにお呼ばれしたので、同居人とふたりで綺麗なお部屋にお邪魔した。四人でしばらくの間お話ができた。いつもは家の中に居て、家を出ても周囲を散歩をするだけなので、この様な機会に恵まれるのは本当にありがたいことである。

何種類もの心づくしのお菓子でもてなされて恐縮してしまふ。