インターネットケーブルが破損。

2020-12-02 (水)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 18 日> (先負 己卯 九紫火星) Beata Beatrice   第 49 週 第 26227 日

 

我が家は影響を受けなかったから助かったのだが、僕らの町で1000世帯以上にわたってインターネットが繋がらない事件があった。その様な状況になったのは昨日の夜からの様である。原因は通信会社が地下を掘る工事をして、ファイバーケーブルを破損させたらしい。復旧には明日いっぱいかかる様な記事も見た。今の時代にインターネットが使へないと辛い。スマホのインターネット共有機能を使ふこともできるが、やはりメインの WiFi が途絶えるのは苦しい。日本では10月に東京証券取引所がシステム障害を起こしたことを受けて、経営トップが引責辞任することになった。スウェーデンでは今回の様な事故があっても誰も責任を取ることはないのではないかと思ふ。日本は表面的な責任を問ひすぎる国であると思ふ。どんなに正確を期したつもりでも運命のイタヅラで間違ひが起きることはあるものだ。事故の原因は追求しなくても良いとまでは言はないが、その辺をもう少しおおらかに包摂する文化を持たないと、人間の神経はすり減ってしまふのではないかと思ふ。コロナが流行っても誰かのせいにしてはいけないのと同じことだ。人智の及ばないこともあると認め合ふ緩やかな社会であってほしい。

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今日も灰色の空であった。

 

スウェーデンの確定申告には葬儀費用がある

2020-12-01 (火)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 17 日> (友引 戊寅 一白水星) Oskar Ossian   第 49 週 第 26226 日

 

スウェーデンには日本と同じ様に確定申告がある。収入の多寡に拘らず全員が確定申告をしなければならない。日本でいふマイナンバー制度は、コンピュータが普及するもっと昔からこの国にあった。全員が personnummer といふ12桁の納税者番号を持ってゐる。実際にはその年の収入などは機械上に既に入力されてゐて、それをネットで確認して、ネット上でサインすれば確定申告は完了する。何年か前までは紙にサインして町の税務署に設けられたポストに投函しに行ったのだが、今はずべてデジタルで済ますことができる様になった。年に一度のこの確定申告の時に、それまで毎月およその金額で納めてゐた税金が清算される。が、同時に引かれる費用もある。日本と違ふなと思はれる項目は葬儀費用である。僕の場合、去年は0,242%、今年は 0,253% の葬儀費用が引かれた。スウェーデン教会に入ってゐる人はまた別な特典があるのか、その会費も同時に引かれる。誰の場合でも葬儀にかかる費用のうち最も基本的な分はその費用で処理されることになってゐる。棺の費用や遺体の輸送にかかる費用などは別料金である。また、公共墓地に葬られる場合などでも25年間の墓地の管理料などは葬儀費用の中に含まれる。日本でも最近は身寄りのない人の孤独死があったりする様に見受けられるが、もしこの様な制度があれば安心ではないかなといふ気がする。

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スウェーデンには山地が少ないが、地平線を見ることもない。空と地との間には森や林があることが多い。

 

語学の学習

2020-11-30 (月)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 16 日> (先勝 丁丑 二黒土星)満月 Anders Andreas   第 49 週 第 26225 日

 

30年以上もこの国に住んでゐることが本当かしらと人様に疑はれるほど、この国の言葉ができない。アジア諸国から日本にやって来る若い人たちの多くは、ほんの何ヶ月かで流暢に日本語を話す様になるのを見ると、何だか自分が情けなくなる。きっと日本語は予想されてゐるよりも習得しやすい言語なのだと思ふ。母音は五つしかないし。ところで、どれだけかの期間を外国に滞在する日本の会社員の多くは、どうかすると日本人同士で固まって閉じた社会を構成する傾向がある様に見受けられる。何を隠そう、自分がそれに近い人間であるから、その心理がよくわかるのだ。会社を定年退職してからは、もはや仕事で言葉が必要になることはなくなった。ずっと家に居ればあまり人と話す機会もない。しかし、この国に住み続ける以上は、むしろさうなってからの方が、「これではいけない」といふ気持ちが昂じるのだった。思へば仕事をしてゐた頃は、真剣に語学の勉強をしようと思ったことはなかった。真剣に語学の勉強をしようと思へば、自分の様なものでも少しはできる様になるのではないかと思って、定年を過ぎてからの時間のどれほどかは語学の学習に充ててゐる。一応毎日やるので少しは上達したのかもしれないが、まだまだ先は長い。聞き取りはほとんどダメである。それでも焦らずに諦めずにともかく毎日少しでも勉強しようかと思ふ。

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台所の窓辺にも adventsljus を飾る

 

第1アドベント

2020-11-29 (日)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 15 日> (赤口 丙子 三碧木星) Sune 1:a advent   第 48 週 第 26224 日

 

まだ11月であるが今日は第1アドベントである。朝のうちにチラチラと粉雪が舞った。アドベントは第1から第4まである。クリスマスまでの4回の日曜日がアドベントと呼ばれる。4本のろうそくが立てられて、1週が過ぎるたびに灯りがひとつづつ増える。第1アドベントのさらに前の日曜日は Domssöndagen と呼ばれて、この日曜日くらいから町はクリスマスの用意を始める。今年はコロナの中のクリスマスであるので例年と様子が違ふかもしれない。今日は同居人と娘たちのところへ行った。同居人は孫と遊ぶのが楽しくてしようがない。孫の方でも本気で遊んでもらへるものだからバアバが来るのを楽しみに待つ。保育所では先生に「バアバ」のことを話すことがあるさうである。先生は「バアバとは誰ですか?」みたいなことになる。「バアバ」といふ日本語が国際語になる日が来るかもしれない。

 

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町にはクリスマスツリーも見られる季節になった。Stockholmで

 

橋爪大三郎著「死の講義」を読む

2020-11-28 (土)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 14 日> (大安 乙亥 四緑木星) Malte   第 48 週 第 26223 日

 

僕の生まれた家は曹洞宗であった。成長して悩み抜いた末に自分で自分の宗教を求めたのではなく、生まれた時から宗派が決まってゐた。長男として生まれたからには、家の宗旨を継いで先祖を祀る。そのことに何の疑問も挟まず、誰でもそんなものだと思ってゐた。近くにある菩提寺曹洞宗のお寺であり、親に連れられてそのお寺に御墓参りに行くことがあった。時々はお坊さんの方が家に来てお経を読んで行くこともあった。けれども、檀家として日常生活の中に禅の生活を感じさせる雰囲気はほとんどなかった。近くにお寺は沢山あり、それぞれに宗派が分かれてゐたのだが、どの宗派のお寺も雰囲気が似たりよったりであった。宗派が違ふのにどうしてかうも一様であるのだろうとボンヤリと疑問を抱いたのは高校生の頃であったが、その疑問は追求されることもなくずっとそのままになってゐた。ところが今日ある本を読んだら、何故さうなったのかが明快に書かれてゐた。そして、やや飛躍するかもしれないが、遠藤周作の「沈黙」で、一旦は日本に根付いたかに見えたキリスト教が、結局は深く根をおろすことができなかった理由とも繋がるものがある様に思はれた。そんなことを僕に思はせた本といふのは橋爪大三郎著「死の講義」である。今 Kindle 版で読んでゐるところである。世界の色々な宗教では死後の世界はどの様に見られてきたかばかりでなく、日本で一般の人々は死をどの様に捉へて来たかといふ面から見た日本史の記述にもなってゐる。非常に分かりやすい本であるのだが、でも自分の考へを整理するためには二度三度と読み返してみないといけないと思った。

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地上の霜が朝日を浴びて輝く。気温が低いので終日消えなかった

 

車検を受ける

2020-11-27 (金)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 13 日> (仏滅 甲戌 五黄土星) Astrid Asta   第 48 週 第 26222 日

 

今年も車検を受ける時期である。今日がその予約の日であったので、指定時刻に間に合ふ様に自動車で出かけた。と言っても10分もかからない場所であるのだが。車検の費用は予約する時にネットで払ひ込む。検査時には会計業務がない。合理的であると思ふ。話は飛ぶが、病院などでもスウェーデンでは会計窓口がない。後で郵便で請求が来るので、それをネットバンキングで指定期日までに振り込むだけである。日本の病院もその様にすれば随分人手が助かるのではないかと思ふ。ここから車検の話に戻すが、予約だけして期日までに支払ひを済ませないと、その予約は取り消される。車検場に着くと、指定の電話番号に自分の車両番号をSMSで送る。これで、検査車両が到着したことの手続きが終はる。間もなく電光掲示板に自分の車両番号が出るので、案内されたゲートに進む。そこに検査官が待ってゐる。鍵を渡す。検査してもらふ間は待合室で待つ。今はコロナがはやるので、検査官は窓をいっぱいに開けて検査した。僕の方も、検査が済んでの帰り道には窓をフルオープンにして家まで帰った。家に着いてからは手水うがひをした。感染のリスクを少しでも少なくするためにその様なことをするのは常識かもしれない。他の時間帯はずっと家にゐたが、明後日が第1アドベントであるので、ラジオでたくさんのクリスマス曲が流れた。今年ももうクリスマスなんだと思ふ。

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今朝は氷点下で寒かったがよく晴れた。

 

お寺のある風景

2020-11-26 (木)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 12 日> (先負 癸酉 六白金星) Linus   第 48 週 第 26221 日

 

今から思ひ返すと、僕の生まれた町(福井県坂井市丸岡町)はお寺がたくさんある町だなと思ふ。本来は城下町であるのだが、狭い町内に驚くほど沢山のお寺がある。それも町内の人たちだけの、小さなお寺が多い。とても門前市をなす華麗な雰囲気はない。人々が信心深いからお寺が多いのか、お寺が多いから人々が信心深くなるのかはわからないが、あの町には信心深い人が多いと思ふ。あるいは人として生きるのに気をつけなければいけないことへの関心が高いのだと思ふ。少なくとも昔はさうであった。子供の頃は暗いお御堂で地獄の話とか、因縁が巡る話とか、恐ろしい話をいろいろ聞いた思ひ出もある。子供心に仏教って暗いなと思ひこんでしまった。そんな時間があったことが今となっては懐かしい。今の子供達にあの様な体験はないだろうと思ふ。スウェーデンでも教会はあちこちにある。鄙びた地方へ行っても、田園の中の、街道と街道が交差するあたりに立ってゐることが多い。昔は馬車などで、遠くから街道沿ひに人が集まって来たのかもしれない。それで、遠くからでもわかる様に塔がそびえてゐる。スウェーデンでは高い建物といへばまづ教会を思ひ浮かべる。日本のお寺はお堂の中で内面的なものを深めようとするから、目立つ様に高い建物である必要はないのかなと思ふ。それでも、奈良などの立派なお寺には五重塔や、東塔、西塔などがある。それらを遠くから眺めるのは一幅の絵になる気がする。

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午後になってわづかに日の光を見た