我が故郷の丸岡城周辺が冠水

熊本地震、千葉豪雨など今年も日本各地は大きな災害に見舞はれてゐるが、今度は我が故郷の福井県に大雨が降って、我が城下町もすっぽりと泥水に覆はれてしまった。福井空港までは自転車でも行ける距離なのだが、その空港も水に覆はれて、滑走路がかろうじてそれと分かる程度まで冠水したようである。一般住宅やお店や病院なども水に浸かって、田んぼではせっかくのお米が収穫できなくなって、人々がもとの生活を取り戻すのにどれだけの日数がかかるかなと思ふとため息が出る。僕の家も浸水してゐることは確かだ。いつも就寝前はスマホの電源を断にするのだが、昨夜は何となく不安がよぎったので夜中に電源を入れてみた。すると郷里の友達からメッセージが入って、大変なことになってゐることが分かった。ここは遠く離れた地であり、何もできることはないのだが、ここで枕を高くして寝たのでは郷里の人々に申し訳ないと思ひ、ともかくも朝までは起きてゐることにした。子供の頃は台風が来るたびに水がついて、畳をまくったりした思ひ出もあるが、後年は治水が良くなって水がつくことはなかった。今回のような洪水は未曾有の出来事である。坂井市・あわら市だけでなく、福井市、大野市、勝山市にも被害は及んだ。我が町の東側には「たけくらべ」などの山があるが、その山を越えた先に勝山、大野がある。雨雲はそのようなルートを進んだのかなと思ふ。犠牲者を出すほどの災害でなかったのはまだありがたいが、早く復旧してほしいと切に願ふ。何も力になれないのが郷土の人々に申し訳ない。

スウェーデンでは今日は少しだけ雨模様

 

七十而従心所欲不踰矩

子供の頃に学校で論語を少し習ったけれども、子供心に分かったようで分からなかったのが「七十而従心所欲不踰矩」といふところであった。「しちじゅうにして こころのほっするところにしたがへどものりをこえず」と読む。言ってゐることが当然すぎてモヤっとした疑問が残ったものだった。この言葉を逆に解釈すれば、70歳になる前なら人は思った通りに生きれば良いし羽目を外しても構はないのだよと言ってゐるようにも受け取られるのだ。けれども自分自身が70歳を過ぎてみると、なるほどとその言はんとするところが分かってくる気がするようになった。「人生いかに老いるか」は人それぞれかもしれないが、老いるほどに欲望を自制する傾向がある人も多いのではないかと思ふ。この世に生きてゐれば誰も何らかの苦しみに出会ふものだ。そして、人は誰も苦しみから逃れたいと願ふ。ではその苦しみの原因はどこにあるのかと尋ねれば、結局欲望があるから苦しむわけである。それでこれまで持ってゐた欲望を少しだけ抑へてみる。すると新しいステージでは思ひのほか幸せを与へてもらへることってあるものだ。そのようなことを人生で何度も繰り返してゐると70歳になった頃には卑屈なまでに欲望の小さい人間になってくる。そこで孔子は言ふわけだ。そこまで欲望を抑へ込むことはないのだよと。ある規範さへ超えなければ、自分の心の欲するままに生きれば良いのだよと。ありがたい言葉ではないか。

はごろもの裳裾もかくや処暑の雲

 

丑三つ時の震度5弱

昨夜、時間にすれば草木も眠る丑三つ時であったか、首都圏が揺れた。震度5弱の区域があったといふ。首相官邸に連絡室が設置されるなどの新聞記事を見てドキッとしたが、過ぎてみると実質的な災害は少なかったようである。ホッとした。災害さへ出なければまるで何事もなかったかのようで、まだ何時間も経ってないのにネット上でその新聞記事を検索するのさへ手間取るほどであった。しかし、実際に揺れを感じた人は一瞬ヒヤッとしたのではないか。何しろ日頃から首都直下型地震が来るぞと脅されてゐるのでそのように感じた人は多かったと思ふ。熊本地震といひ、千葉豪雨といひ、この頃の日本では災害が頻発してゐる。実際に被災した人は本当に大変だらうと思ふ。東日本大震災があった時、僕は出張で日本に行ってゐて茨城県にゐたのだが、その前日まで体感地震を何度も感じた。その都度緊急地震警報が出たが、あれをあまり何度も耳にすると、「またかよ」とその音声に嫌な気分になったものだった。しかし、そのうちに実際に大地震があった。昨夜のような揺れも何かの前兆かもしれない。首都圏に住む人たちはこれを機に備蓄の食料や水の点検をしても良いのではないかと思ふ。コトが起きた直後にはコンビニやスーパーにビックリするほど人が殺到するものだ。大正12年(1923年)の大正関東地震が起きた日は1週間後の9月1日であった。

家の周りの散歩道

 

まごころ

「心」と「真心」との違ひは英語ではどのように表現しますかとAIに聞いてみた。答えはかうであった。

「心」は広く感情や精神を表すheart や mind と表現し、「真心」は誠実さや本気度を強調する sincerity や「from the heart(真心から)」 come from the heart という熟語で表現します。

なるほど、と思ふ反面でなんだかうまく説明しきれてない気もする。僕らは心と体とを分けて考へがちであるけれども、両者はもともとひとつのものである。心と体の接するところにあるものが真心であると思ふ。それはいのちそのものに直結してゐて、そこにはいつはりも飾りもない。人は成長するにつれて心も発達するが、真心といふものは生まれながらに備はったものであり、発達したり変化するものではないと思ふ。現代のやうな複雑な社会に生きてゐると、何が善であり何が悪であるかは簡単に言ひきれない場合が多い。けれども心の耳をすませて、心の奥深いところで感じる善悪といふものはやはりあるのではないかなと思ふ。胸に手を当てて何かを思ふことって大事だと思ふ。ただ、そのことが通じない人間もきっと世の中にはゐるのだ。AIにも真心はわからないだらうと思ふ。真心は身体性に依存してゐるからで、身体を持たぬ AI には真心はわからないのだと思ふ。逆に言へば、真心を日常のコミュニケーションの中にいかにうまく復活させるかが、人類がAIに取って代はられないための残された数少ない手段のひとつではないかと思ふ。

「罪を罪とも思はぬものに、天の罰が下らうやうはござらぬ」(さまよへる猶太人ー芥川龍之介)。

Nyköping川

 

令和8年8月千葉豪雨

千葉では8月13日に記録的な豪雨があり、大きな被害が出た。昔はよく「集中豪雨」といふ言葉が使はれたが、この頃はあまり聞かなくなった。新しい用語としては「レベル5大雨特別警報」といふ警報がある。また、「線状降水帯」といふ言葉も割と新しい言葉であると思ふ。この他にも「内水氾濫」といふ、僕にとっては新しい言葉も新聞で見た。河川の堤防が決壊して町に水が流れてくるのが外水氾濫であるのに対して、内水氾濫とはマンホールから水が溢れてくることをいふらしい。都市部の雨水は下水道や地下放水路を通って排出されるようになってゐるが、あまりに雨が激しく降って処理能力を超えると行き場を失った水はマンホールから上がって来るのだといふ。災害はどこででも起こりうるが、今回は千葉といふ首都圏の一部を襲ったのでヒヤッとした。これ以上の災害が襲って来ないように祈るばかりである。

家の近くの散歩道

 

日食のままに陽が沈む

スウェーデンでは今日は日食が見られた。それも日没の少し前からかけ始めた。かけ始めの時刻は19時03分である。最大にかけるのは19時56分で、この時太陽の約81%を月が覆ったといふ。月が太陽の前面を通過し終へるのは20時46分であるが、日没が20時48分であるので、日没とほぼ同時に日食が終はった。毎晩同じ時刻にお月様を見れば、お月様は次第に左(東)へ移動していくのがわかる。およそひと月で元の位置に戻るのだが、この周期がうまい具合になってるなと感心してしまふ。太陽の直径はお月様の直径の約400倍あるのだが、地球から見るとほぼ同じ大きさに見えてしまふ。これも距離の関係がうまい具合になってるなと感心してしまふ。お月様は地球から見ると他の星よりもいつも左(東)へ移動するので、日食の時も太陽の前面を右から左へ横切る。それで太陽は右側から欠けることになる。太陽と地球と月とはいつからこんなことを続けてゐるのだらう。地球では、たかだか1万年ほど前から気候が安定し、この間人類が繁栄したけれども、それは地球史から見れば一瞬の出来事だ。今の人間は気候変動だ、気候崩壊だと言って騒ぐけれども、もしかすると人間がいくら脱炭素化を進めても気候崩壊は起きてしまふのかもしれない。地上には極端な旱魃や大洪水が起きて、その上地震や津波や火山噴火も起きて、食料や水が激減し、この地上は大変なことになってしまふかもしれない。せめていま戦争だけでもやめてほしいと思ふのだが、、。世界の宗教では、例へば「ヨハネの黙示録」とか「ダニエル書」とか「イザヤ書」とか、世の終末を予言するものが多い。仏教にも「末法思想」があって、お釈迦様が亡くなってから時間が経つにつれて、その教へが正しく伝はらなくなるとされてゐる。正しい修行をしようとしてもそもそもそれが不可能な時代が来るといふのだ。そんなにも現代の僕らは罪深いのかな。日本では鎌倉時代に新仏教が興隆して日本独自の仏教の歩みがあった。そのことも末法の世の到来と無縁ではなかった。あの時代も方丈記に記録があるように大災害が相次ぎ、確かに大変な時代であった。方丈記が書かれてから800年以上が経ち、末法の世も終はらうとしてゐるのかもしれない。たとひさうであったとしても心の隅に希望の火を灯して生きていきたいと思ふ。

日食の暗さと夕暮れの暗さが重なった。

 

長崎の鐘

この頃YouTubeで「長崎の鐘」をよく聞く。この歌は作詞がサトウハチロー、作曲が古関裕而で昭和24年(1949年)に発表されたとのことである。藤山一郎が歌った。この歌詞を読むとひとつの物語を連想させるが、それは永井隆の同名の随筆が元になってゐる。今日の毎日新聞にも記事があったが、そこから引用すると「長崎医大(現長崎大医学部)の助教授だった永井隆は爆心地から約700メートル離れた付属医院で被爆。頭の動脈を切る大けがをしたまま救護活動に奔走した。」とある。偉い人だと思ふ。敬虔なクリスチャンであったが、原爆を落とした国の宗教と同じ宗教であったことが何かを象徴してゐるような気もする。当時の日本の軍部の野蛮極まりないやり方をおもへば、もし日本が先に原爆の開発に成功してゐたなら、当時の軍部はそれを敵国の頭上に炸裂させることに何の躊躇も感じなかったのではないかと、僕は密かに恐れてゐる。原爆を落としたような敵国を悪者として弾劾することは悪いことではないが、その悪への道と同じ精神構造が自らのうちにも潜んでゐたことを忘れてもいけない気がするのだ。いま、この世界で核兵器が用ゐられてしまふリスクは冷戦時代よりもむしろ高まったといふ話も聞く。核兵器を使ってしまへばその瞬間からその国は確実に滅亡していく。そのような絶対に使用できない兵器なら、どの国も最初から持たなければ良いのだ。子供にもわかる話だ。そのことを日本は強く世界に訴へるべきであると改めて思ふ。それにしても「長崎の鐘」の歌詞は「こよなく晴れた青空を悲しと思ふ切なさよ」と始まる。もはや平和になってからの日本の流行歌として定着した。けれどもこの調べからは僕は、万葉集にある大伴家持の春の愁ひの和歌を連想してしまふ。太古から日本は、明るい陽射しの中に深い悲しみを知る国であったのだ。

Nyköping川にかかる橋