英和辞典

2021-05-15 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 4 日> (先勝 癸亥 三碧木星) Sofia Sonja   第 19 週 第 26390 日

 

57年前、高校に入学した時、教科書と一緒に開拓社の英英辞典を買ってもらった。しかし、高校3年間の間、僕には使ひこなすことができなかった。英英辞典をひいても単語の意味がわかった気がしなくて、もう一度英和辞典で見てみなければ落ち着かない感じがした。いつ逆転したかはわからないが、今では逆である。英和辞典で単語の意味を調べても英英辞典で確かめてみないことにはどこか安心できない感じがある。英英辞典を使ひ始めた頃、その英語で書かれた単語の説明を日本語で書いたような辞典はないものかと思ったものだった。例へば、obligation といふ単語を手許の英和辞典(研究社 現代英和辞典)でひくと、義務、責務、恩義、おかげ、、などと出てくる。英英辞典 (Oxford Advanced Learner’s dictionary) でひくと、the state of being forced to do sth because it is your duty, or because of a law, etc. と書いてある。英和辞典でも、いきなり「義務」に飛躍しないで、そのまま和訳して「法律やその他の理由で、自分が何かしなければならないように強いられた状態」みたいに説明してくれる英和辞典があったら良いなと昔は思ったものだった。今は英語の勉強方法も昔とは違ふと思ふので、僕の感想は時代錯誤かもしれないが、昔思ったことを忘れぬうちにブログに書いておきたいと思って書いた。

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花壇に白い花が咲いた。後ろに赤いチューリップが1本咲いた。

 

ノンポリの独り言

2021-05-14 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 3 日> (赤口 壬戌 二黒土星) Halvard Halvar   第 19 週 第 26389 日

 

ノンポリ」といふ言葉をこの頃聞かないような気がする。政治的活動に関心のない人を「ノンポリ」といふ。若かった頃に学園紛争があって、その頃から「ノンポリ」であった僕は、周囲から意識の低い人間だとか言はれてバカにされたことが多かった。しかし、ノンポリでゐることは社会のためにそんなに悪いことであろうかと思ふ。古い昔の中国の本を読むと、帝の支配を全く意識させない政治こそが最高の政治であると書いてある。善政が敷かれて、人々がそのことに感謝するレベルではまだ不十分であるのだといふ。誰がどのように政治をしてゐるのかさへも知らないけど、人々の現場の生活はうまくいってゐるといふ状態が理想なのである。江戸時代まで、農民は年貢を取り立てられて辛いことも多かったろうが、「お国のため」とか言はれて出征して命を取られることもなかったのではないかと思ふ。明治時代になって人が集まり議論して政治をするようになると、戦争ばかりするようになった。政治的無関心は悪いことかもしれないが、変に政治に関心を持つ人間が増えると、世の中は不安定になっていくような気もする。

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どんよりと曇って暑くならなかった

 

Kristi himmelsfärdsdag

2021-05-13 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 2 日> (大安 辛酉 一白水星) Linnea Linn Kristi himmelsfärdsdag   第 19 週 第 26388 日

 

今日は気温が上がって良いお天気であった。同居人と Stockholm へ行ったのだが、町を歩く人は皆半袖であった。僕もジャケットだけは脱いで歩いた。日差しが強くて、太陽から届く光の素粒子が顔にブツブツとぶつかって跳ね返るような感じさへした。これではすぐに肌がやられてしまひさうだなと感じた。世の中は新型コロナの感染で苦しんでゐるといふことが想像できないくらいに開放感があった。レストランの中をガラス越しに見ると、たくさんの人がそれぞれのテーブルを囲んでゐて、大変密な状況でおしゃべりしてゐるように見えた。大丈夫かなと思ってしまった。このような陽気は人々の心をノーマルな日々への回帰へと急がせる気もする。今日はスウェーデンでは Kristi himmelsfärdsdag で、復活したイエス・キリストが天にあげられたとされる日である。国民の祝日になってゐるが旗日ではない。スウェーデンでは最も良い季節を迎へるのはこの日くらいからのひと月ではないかと思ふ。行く先々で新緑の若い色が目に優しかった。行きに高速道路 E4 を走った時、対向車線( Stockholm から南へ向かふ車線)はのべつ混雑して、長い長い渋滞ができてゐた。7時間後にそのルートを通って帰った時はさすがにもう渋滞はなかった。

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海で泳ぐ人さへあった

 

百万遍念仏

2021-05-12 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 1 日> (仏滅 庚申 九紫火星)新月 Charlotta Lotta   第 19 週 第 26387 日

 

朝日新聞天声人語に「百万遍念仏」のことが書かれてゐた。「鎌倉末期、京の都で疫病が猛威をふるった。知恩寺の高僧が後醍醐天皇の命を受け、念仏を7日間で100万回唱えたところ、感染が収まる。この言い伝えが各地へ広まったのが「百万遍念仏」である」と書かれてあった。その高僧は昼夜をわかたず7日間ぶっ通しで念仏を唱へたのかもしれない。7日間で100万回唱へるためには、1日に142857回唱へなければならない。すると1時間に5952回唱へなければならない。1秒のうちに1,65回唱へなければならない。どんな念仏か知らないがそんなに早口で7日間も休みなく果たして唱へられるものだろうか。そのような言ひ伝へはやはり誇張されてゐると思ふ。70日間の間違ひではないかとも思ふ。「1日100万回目標」といふ新型コロナのワクチン接種にも同じような誇張が隠れてゐるかもしれない。

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暖かくて気持ちよく散歩することができた

 

covid-19 ワクチン接種を受ける(1回目)

2021-05-11 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 30 日> (友引 己未 八白土星) Märta Märit   第 19 週 第 26386 日

 

スウェーデンの僕の住む地域で、1949 年生まれの人に、covid-19 ワクチン接種の予約案内が郵便で届いたのは3月2日であった。けれども僕は予約をしなかった。世の中がコロナの苦しみから抜け出るのに、手っ取り早くワクチンに頼る方法が果たして良いのかどうか自問するところがあったからだ。けれども、いつまでも感染の流行は収まらないし、自分がもしも感染した場合、やはり医療機関に頼らざるを得なくなるので、素直にワクチン接種を受けるべきではないかといふところに気持ちが落ち着いて、今日受けて来た。今日の状況では1971年以前に生まれた人が受けられるようになってゐた。予約した人たちで結構な行列になってゐた。会場まで5キロの道のりであったが、自転車で行って来た。接種後すぐに動かずに、念のために15分間椅子に座って静かにしてゐるように指示があった。その通りにしたが、その後の帰りの自転車もゆっくりこいで帰った。上り坂では自転車を引いて歩いた。受けたのは Phizer 製のワクチンで、注入量は 0,3 ml であった。2回目の接種は6週間後またはそれ以降に受けることになる。それはまた自分で予約しなければならない。ともあれ、今日は僕個人にとってコロナの時代のひとつの通過点となる。2回目の接種を受けた後2週間すれば、体内のウイルスに対する防御態勢がフルにと整ふといふことである。だが、変異株に対してどこまで有効なのか、また、ワクチン効果はどれくらいの期間持つのかについてはよく知らない。ワクチンを受けた後も、これまでと同じように感染防止のために注意しなければならないと思ふ。

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ワクチン接種を受けるために町まで自転車で行った

 

牛の放牧

2021-05-10 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 29 日> (先勝 戊午 七赤金星) Esbjörn Styrbjörn   第 19 週 第 26385 日

 

スウェーデン語では kosläpp といふのだが、牛を牛舎から一斉に解き放つ行事がある。今日の夕方のテレビのニュースでやってゐた。スウェーデンの春の歳時記である。牛舎の扉を開けると牛たちが勢ひよく飛び出してフィールドを走る。牛たちにとっても、長い冬の終はりで、待ち遠しかった良い季節の到来を喜んでゐるように見える。思ひっきり発散して良いミルクを出してほしい。

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梢の間に若葉が茂って、やがて向かうが見えなくなる。

 

不平解消の方法

2021-05-09 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 28 日> (赤口 丁巳 六白金星) Reidar Reidun   第 18 週 第 26384 日

 

昨日のブログで、平家の隆盛に不満であった摂関家の人々のうち、新大納言・藤原成親卿は謀反に参加し、徳大寺殿實定卿は厳島神社に詣でることをして、その後の運命が大きく分かれたことを書いた。この差の大きさは平清盛といふ人がどれくらい感激しやすい性格であったかによって変はることもありうると思ふ。徳大寺殿實定卿のやり方は、権力者におもねようとする点で、賄賂に近いと思ふ人もあるかしれない。だが、人を感動させることがなければ何も始まらない。金銭を授受するのならばむろん良くないが、それ以外の方法で人に何かを感じさせることは悪いことではないと思ふ。それもあまりに見え透いたやり方であれば人は感動しなくなる。自然に現れる人の情けは人を動かすと思ふ。また、藤原成親卿がやったように、今の時代が面白くないと言って、武力で覆そうとするのはどんな時代でもいけないと思ふ。正義のためだと主張し、むやみに正義を振りかざすことも良くないと思ふ。話は飛ぶが、僕らの生きる現代は貧富の差がどんどん拡大する傾向にあるといふ。よくないことと思ふが、この不平の解消にはどうすれば良いのかなと思ったりする。

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猫の額ほどでも庭があると慰まるものである