脳のレントゲン検査

2023-01-31 (火)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 10 日>(仏滅 己丑 八白土星) Ivar Joar 第 5 週 第 27020 日

 

同居人は今日脳のレントゲン検査を受けた。日本と違って、スウェーデンでは、身体のどこかが心配だから検査を受けたいと希望しても認めてもらへない。近くの Vårdcentralen で面接などを経た末に、検査の必要が認められた人に対してだけ、病院から検査の案内が郵便で届くのである。さういへばこの国には人間ドックも無い。僕自身の体験で言へば、歯のレントゲン定期検査を受けることはあるが、その他にはこの国でレントゲン検査を受けたことがない。胸の検査もない。白いバリウムを飲む胃の検査もない。胃カメラもない。集団検診に近いものがあるとすれば、体重、身長、血圧検査くらいかなと思ふ。日本はつくづく検査天国であると思ふ。本人が希望しさへすれば検査を受けられるなんてすごいことである。日本の人には常識かもしれないけど、それはどれほど恵まれたことかなと思ふ。日本では早期発見のために検査を受けませうと言はれる。実際、早めの検査を受けて命を助けてもらった人も多いと思ふ。でも、スウェーデンに住んでゐると、病気になったらこれは運命だとあきらめるしかないかなと思ふ。検査が受けられない分だけ病気にならないための予防を日常生活の中で心がける傾向は強いかもしれない。ともあれ、今日、同居人は脳のレントゲン検査を受けられた。僕も付き添って行ったが、病院の待合室に人はほとんどゐなかった。また、検査の後の会計もない。請求書が後で郵便で送られて来るのである。その分、病院の人手も少なくてすみ、患者もすぐに帰られるのでありがたい。今日の検査では10分ほどしかかからなかった。

長い間工事をしてゐた町の病院も玄関が綺麗になってゐた

 

粗大ゴミの日

2023-01-30 (月)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 9 日>(先負 戊子 七赤金星) Gunilla Gunhild 第 5 週 第 27019 日

 

今年初の粗大ゴミの日である。床置きの電気スタンドを捨てることにした。重くて背が高くて運びにくいものであった。先日足を引っ掛けて倒れた時に天板のガラスが割れてしまった。ランプさへ交換すればまだ使へないこともないのだが、新たにランプを入れ替へる気も起こらなかった。10年ほど前に、ネットで買ったこの電気スタンドは、買ったその時からあまり気に入らないものであった。今はもっと省電力のLEDの電気スタンドもあるので、先日小売店から来た安売りの広告メールを見た時にそれを買ってしまった。それでこれまで使ってゐたこの電気スタンドは捨てることにして、今日、近くのスーパーわきの収集場まで同居人と二人で抱へて捨てに行った。

今年初めて自転車で町へ行ってみた。少し風が強かった。

 

憂鬱な日曜日

2023-01-29 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 8 日>(友引 丁亥 六白金星)上弦 Diana 第 4 週 第 27018 日

 

今日、落ち着いてから、また Mac  OS の復元を試みたが、昨夜と状況は同じであった。僕の MacBook Air は元々買替への時期に来てゐたので、余り迷はずに新しい機械を買ふことに決めた。僕にはグラフィックなど高度な機能は不要で、ごく基本的なことさへ出来れば十分なのだが、時代と共にプログラムが更新されて、古い製品を使ひ続けることができなくなってゐる。どうしても自分の力量をはるかに超えた製品を買はねばならなくなるのが残念なところである。もう高齢者で、今、身の廻りにあるものだけを使って、小さく生きていくべきではないかと思ふのだが、情報処理の機器だけはそんなことも言ってられない気もする。毎日の作業のほとんどをコンピュータに依存してゐるので、ーしかしそれはネット依存症とはまた別なものだと僕は思ってゐるのだがー、それが使へない今日はどこかソハソハした一日を過ごしてしまった。こんな時こそ、腹を据ゑて、坐禅でもして、落ちつかなければいけないと思ふ。

いつものやうに散歩だけはした

 

コンピュータが動かない

2023-01-28 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 7 日>(先勝 丙戌 五黄土星) Konungens namnsdag Karl Karla 第 4 週 第 27017 日

 

夜 Stockholm から帰って来て、コンピュータの前に座った。すると作業の途中でカーソルが動かなくなった。大した問題ではないだらうと思って、強制終了させて再起動すると、しばらくして画面の中央に疑問符とサポートのWEBページが表示された。この辺で焦り始めた。スマホを取り出してその説明を読み、ディスクユーティリティでMacを修復する方法を調べた。書かれてあったことをやみくもに色々とやってみたのだが、Time Machine に保存されてあるバックアップから復元しやうとすると、古い10月初旬のものからしかバックアップ出来ない。実は10月17日にMac OS を Big Surに変更したのだが、それ以降に保存されてゐるはずのバックアップが復元可能なリストに現れないのである。それで、別な方法で、つまり、Mac  OS を再インストールしやうとすると、古いバージョンの Mac OS しかインストールできないやうになってゐた。それ以上はやる気がなくなって、休んでしまった。今日は父の命日であったことも気になって、眠られない夜になった。

Stockholm へ行った。

 

平家物語 巻第四 「大衆揃 3」

2023-01-27 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 6 日>(赤口 乙酉 四緑木星) Göte Göta 第 4 週 第 27016 日

 

治承4年(1180年)5月23日の暁、高倉の宮は「三井寺の僧徒だけでは持ちこたへられないであらう。山門(比叡山)は頼りにならないし、南都(興福寺)の援軍はまだ到着しない。後日になってはまづからう。」と言って、三井寺を出て、南都へ向かはれた。この宮は「蝉折れ」「小枝」といふ名の漢竹の笛をふたつお持ちになってゐた。その「蝉折れ」といふのは昔鳥羽院の御時、こがねを千両宋朝の帝へ貢いだことがあって、その返礼の意味らしく、まるで生きてゐる蝉の様な形の節のついた笛用の竹を一節贈ってこられた。「いかにこれほどの重宝をさう簡単に彫刻してはいけないであらう。」と言って、三井寺の大進僧正覚宗に仰せて、祭壇の上に立てて七日加持祈祷してから彫刻させた御笛である。ある時、高松の中納言實衡卿が参って、この御笛を吹いたのは良かったのだが、うっかり普通の笛であると思って、膝より下に置いてしまった。笛はこのことを「無礼ではないか」と言って咎めたのであらうか、その時、蝉が折れてしまった。それでこの笛は「蝉折れ」と名付けられたのである。高倉の宮は笛の名手であられたので、この御笛を引き継いでゐらっしゃったけれども、今を限りとお思ひになったのであらうか、園城寺本堂の弥勒菩薩像にご奉納あそばした。弥勒菩薩は五十六億七千万年の後に地上に生まれて龍華の樹の下で成道すると伝へられてゐるが、弥勒菩薩がこの世に出現した時のためであらうかと思はれて、あはれなりしことどもであった。

よく晴れた日であった。

 

平家物語 巻第四 「大衆揃 2」

2023-01-26 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 5 日>(大安 甲申 三碧木星) Bodil Boel 第 4 週 第 27015 日

 

大関・小関といふ路があった。大関は逢坂を経て京都に通じる路(逢坂は京阪京津線大谷駅のあたりかも)、小関は山城国宇治郡四宮(京阪京津線京阪山科の隣に四宮といふ駅がある)に通じる路である。当時はこれらの道が整備されてなかったといふことなのか、高倉の宮がお入りになってからは、堀を切って棘のある枝を立てたり、堀に橋を渡す手間をかけながら進んだものだから、時刻がおし移って、逢坂の関の鶏が鳴き出してしまった。伊豆守は「ここで鶏が鳴いたのでは、六波羅を攻めるのは白昼になってしまふぞ。どうしたものか。」と言ふ。そこで圓満院大輔源覚がまたさっきの様に進み出て言った。「昔秦の昭王のとき、孟甞君は呼び寄せられ監禁されてしまった。それでも昭王のお気に入りの夫人に取り入って助けてもらひ、つはもの三千人をひきぐして逃げて函谷関まで来た。そこは朝の一番鶏が鳴かぬうちは関の戸が開かれない。追手はすぐにもやって来るであらう。孟甞君の三千の食客の中に、てんかつといふ名前のものがゐた。誰もが「エッ」と驚くほど鶏の鳴き真似がうまかったので、鶏鳴とも呼ばれた。かの鶏鳴が高いところへ走り上がって鶏のなく真似をした。すると、関路の鶏は聞き伝へて皆鳴いた。その時、関守は鳥のそらねにばかされて、関の戸を開けて通してしまったといふ話がある。ここで今、鶏が鳴くのも敵の計略で鳴かされてゐるのであらう。ただ寄せよ。」こんな風にして時が流れるうちに、五月の短夜はほのぼのと明けはじめた。伊豆守は「夜討ちであれば勝算もあったけれども、昼いくさでは勝ち目はないぞ。みんなを呼び返せ。」と言って、搦手の軍勢は如意が峯より呼び返された。また、大手の軍勢は松坂よりとって返した。若大衆どもは「一如房の阿闍梨がなが僉議をしたから夜が明けてしまったのだ。押し寄せてあの坊を斬ってしまへ。」と言って一如房の阿闍梨に向かって斬りはじめた。これを防がうとした弟子、同宿数十人が打たれた。一如房の阿闍梨は命からがら、はうはうの体で六波羅に参って、老眼より涙を流しながらこのことを訴へ申し上げたけれども、その時既に六波羅には軍兵数万騎馳せ集まって準備が整ってゐたので、あまり人々を騒がせることにもならなかった。

Nyköping川の Folkungavägen にかかる橋。

 

平家物語 巻第四 「大衆揃 1」

2023-01-25 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 4 日>(仏滅 癸未 二黒土星) Paul Pål 第 4 週 第 27014 日

 

搦手に向かふ老僧どもの顔ぶれは以下の通りである、大将軍には、源三位入道頼政、乗圓房阿闍梨慶秀、律成房阿闍梨日胤、帥法印禅智、禅智の弟子義寳・禪永をはじめとして、都合その勢一千人、手に手にたいまつを持って如意が峯に向かった。

一方、大手の大将軍は嫡子伊豆守仲綱、次男原大夫判官兼綱、六条蔵人仲家、その子蔵人太郎仲光。

大衆には圓満院大輔源覚、成喜院荒土佐、律成房伊賀公、法輪院の鬼佐渡。これらは力の強さでは、刀を持てば鬼でも神でも立ち向かふといふ一人当千の強者である。

三井寺の中院に平等院といふ建物があったが、そこからは因幡竪者荒大夫、角六郎房、嶋の阿闍梨、筒井法師に卿阿闍梨、惡小納言(筒井といふのは三井の南院三谷の一。また北院もあり、これも三井三院の一。北院新羅社の西南に金光院があった)。

北院からは金光院の六天狗、式部・大輔・能登・加賀・佐渡・備後等である。

松井の肥後、證南院の筑後、賀屋筑前、大矢の俊長、五智院の但馬、乗圓房阿闍梨慶秀と同じ坊に住むもの六十人のうち、加賀光乗、刑部春秀。

法師原では一来法師と肩を並べるものはゐなかった。

雑役に従事した法師たちからは筒井の浄妙明秀、小蔵尊月、尊永・慈慶・樂住、かなこぶしの玄永。

武士としては渡邊省、播磨次郎授、薩摩兵衛、長七唱、競瀧口、續源太、清・勤を先として、都合その勢一千五百餘人が三井寺を出発した。

永僉議があったわけではないが、

色々と用事をしてゐるうちに散歩に出るのが遅くなった。