平家物語 巻第六 「葵前 3」

2024-07-26 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 21 日>(友引 辛卯 九紫火星) Jesper Jasmine  第 30 週 第 27558 日

 

天皇は関白の勧めにも応じられなかったが、いとしい人に会へなくなって、思ひはさらにつのるばかりでおありだった。緑の薄手の鳥の子紙の特に匂ひがついたものを選んで、古歌ではあるが、その思ひを興にまかせてお書きになった。

 

しのぶれどいろに出にけりわが恋はものやおもふと人のとふまで

 

この書きすさびを、冷泉少将隆房がお預かりし、くだんの葵の前のところへ持って行ってお見せした。葵の前はみるみる顔をあからめて「少し具合が悪くなりました」と言って里へ帰り、うちふされたまま五、六日が過ぎたが、ついにお亡くなりになってしまった。「君が一日の恩のために、妾が百年の身をあやまつ」といふ白氏文集にある言葉は、この様なことを言ふのであらうか。昔、唐の太宗が鄭仁基の娘を元観殿に入れようとなさったのを、その臣であった魏徴が「あの娘は陸士がすでに婚約してゐるのですよ」とお諌め申し上げたので、入内が取りやめになったことがある。天皇が葵の前を入内させられなかったのも、そのお心は同じようでおありだったのではないかと思はれることである。

港の近くで。

 

平家物語 巻第六 「葵前 2」

2024-07-25 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 20 日>(先勝 庚寅 一白水星) Jakob  第 30 週 第 27557 日

 

このことがあってから、高倉天皇はもの思ひに沈まれがちであった。いつも夜の御寝所にお入りになったままである。その当時の関白は松殿(藤原基房。ちなみに1200年にお生まれになった道元禅師の母上は基房の娘である。)であられたが、「これはお気の毒なことだ。すぐにお慰め申し上げよう」と言って参内した。「そのようにお心にかかってゐらっしゃることでしたら、何の不都合がございませう。くだんの女房をすぐにでもお召しになれば良いと存じます。その女性の身分がお気掛かりでゐらっしゃるならご心配には及びません。この基房がすぐにもお引き受けして、私の養女として入内させませう」と申し上げた。天皇は「さ、それはどうであらうかの、そなたの申すところはよくわかるのだが、私が天皇の地位を退いた後でなら、その様なこともできるかもしれないが、いま、まさしく在位の時にその様なことをすれば、後代までも非難されることになるであらう。」と言って、全くお聞き入れにならなかった。関白殿は力およばず、御涙をおさへて後退出になった。

Nyköping 駅舎

 

平家物語 巻第六 「葵前 1」

2024-07-24 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 19 日>(赤口 己丑 二黒土星) Kristina Kerstin  第 30 週 第 27556 日

 

高倉天皇中宮平徳子(後の建礼門院))がめし使ってをられる少女が、たまたま天皇に拝謁する機会があった。天皇はその少女にお惹かれになった。それも世間に普通にある様なその場限りの「オッ、いいな」といふ感じではなくて、次第に深い愛をお育くみになった。ことあるごとにその人をお呼びになるのだった。天皇のお心がおまじめでお心ざしの深いことがわかってゐたので、主の女房もこの女性を召し使はずに、それどころかあべこべに主に仕へる様に大切に接した。昔から長恨歌伝に、女を産んでも悲しむことはない、男を産んでも喜ぶことはない、男は候に封ぜられるかどうかもわからないが、女は妃になることもある。と謡詠に歌はれてある。その女性は葵の前といふ名であった。周囲の人たちは「この人は女御后とももてなされ、国母仙院とも仰がれることになるでせう。なんて幸ひなことでせう。葵女御とお呼びするのかしら。」などとささやきあふのだった。このことが天皇のお耳に入ると、天皇はその女性を召されることをパッタリとおやめになった。お心が醒められたからではない。世の誹りをおはばかりになってのことである。

雲は毎日色々な表情をとる。肖像権などと言ひ出さないのが良い。

 

アメリカの大統領選挙

2024-07-23 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 18 日>(大安 戊子 三碧木星) Emma Emmy  第 30 週 第 27555 日

 

アメリカの大統領選挙のことで、新聞記事は毎日賑やかである。誰が大統領になるかで、世界の動きが変はる。それで僕らの様な関係ないものでもその行方は気になる。一般に民主党の方が共和党よりリベラルで紳士的な感じを受けるが、状況によってはリベラル過ぎない方が世界の情勢が安定に向かふ傾向があると主張する人もゐる。その選挙の行方によって、日本の防衛のあり方がどうなるかが心配だ。誰がアメリカの大統領になるにせよ、一貫して日本は平和への高い理想を掲げ続ける国であってほしい。平和への高い理想を掲げるといふ意味は、もし、他国からの攻撃を受けたとしても決して武力では反撃しないといふことだ。2001年の同時多発テロ事件の後で、アメリカがもっと忍耐力のある対応をしてくれてゐたら、21世紀はもっと平和に展開したはずだ。昨年以来のガザ紛争にしても、ハマスの攻撃に対し、イスラエルがもっと忍耐してくれてゐたら、状況は変はってゐたと思ふ。極東の地にあって、日本ひとりは、どんな場合にも忍耐の国であってほしい。

朝は曇りであったが、午後から晴れ始めた。

 

今日は大暑

2024-07-22 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 17 日>(仏滅 丁亥 四緑木星大暑 Magdalena Madeleine  第 30 週 第 27554 日

 

中学時代の地理の時間に、月別降水量や気温変化のグラフがあって、このグラフはどの都市のものか当てなさい、みたいな問題があった様な気がする。あんな問題は今でも成り立つのかなと思はれるほど、最近の地球は暑い。地球沸騰化といふ言葉も聞かれる。今日は大暑。梅雨が明けた日本では猛暑の日々と聞く。また、海水温度が上昇して各地に激しい雨を降らせる様になった。何とかしないといけないと人々は思ってゐる。だが、そもそも人の力で何とかできるものだらうか。うんと長期的に見れば、地球の気候は氷河期があったり非常に不安定であった。ほんの束の間の奇跡的な安定期にこの地上に生命が芽生へ、文明が生まれた。生まれた文明が本当のものなら人は戦争をしないはずだが、ウクライナパレスチナに戦争があるところを見ると、僕らの文明は未熟だ。戦争のせいで環境への負担が大きくなってゐる。気象変動対策といふ観点からも、まづ戦争をやめるべきであると思ふ。また軍需産業が盛んになって、妙に世の中の景気が良い。破壊と殺戮のためにお金が回っても良い経済とはいへない。呑気な考へかもしれないが、この地上の人心が調和すれば、気候も次第に良くなるに違ひないと思ふ。それにはまづ戦争をやめることだ。誰もが、何が理想であるかを知りながら、それに近づかうとしない。そして気象変動はますます悪化の一途をたどる。「人事を尽くして天命を待つ」といふ言葉があるが、この地上に住む人間がみんなで力を合はせて平和を築き、できるだけの努力をしたら、あとの成り行きは天に任せるべきであると僕は思ふ。

夏至からもうひと月が過ぎた。

 

ハエ

2024-07-21 (日)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 16 日>(先負 丙戌 五黄土星)満月 Johanna  第 29 週 第 27553 日

 

この季節には時々ハエが舞ふ。昨夜もさうだった。それであまりよく眠れなかった。ただ、昨夜のハエは、いつもと違って、顎や顔の部分などに着地するのがやや控へめであるために、情状酌量の余地があるかなと思った。でもやはりうるさい。起き上がって部屋の電気をつけて、ハエ叩きを手に持ってソファに座った。するとハエはどこに身を潜ませたか、全然現れないのである。一体ハエは、その両眼でこの世界をどの様に捉へるのかなと思ふ。そこにひとりの人間がゐることはわかるのだらう。その人間の手に握られたものがハエ叩きといふもので、自分を襲ってくるものだともわかるのかもしれない。さらにその人間が、見かけはやさしくともどれくらい無慈悲であるかも知ってゐるだらう。しばらく待ったが一向に現れないので横になった。すると、またやってきて身の回りでブンブンするのだった。もうそのままにして朝まで寝た。遅くまで寝たが、布団を上げてたたんで、いつもの様にソファの上に置いた時、かのハエがやってきてその布団の隅に止まった。すかさず僕はハエ叩きを持ち出して一撃した。ハエは床に転げ落ちた。日本のハエは姑息なところがある。「やられた」と人間に思はせておいて、近づくとサッと逃げ出すハエもあるが、スウェーデンのハエは転げ落ちれば、それはもう完全な敗北宣言であると見て良い。小さなちり紙を洗剤で湿らせて拭き取ってゴミ箱に捨てた。もうお昼が近かったから、布団を敷き直して寝直すには及ぶまいと思ひ、起きて一日のいとなみを始めることにした。

夏の横雲が光を浴びて輝く

 

大規模システム障害

2024-07-20 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 15 日>(友引 乙酉 六白金星) Margareta Greta  第 29 週 第 27552 日

 

大規模システム障害のニュースを見た。世界の航空便にも遅れがたくさん出たらしい。僕らは家で静かに老後の生活を過ごすだけなので、特に困ったことは体験しなかったが、もしもっとすごいシステム障害が世界中を覆ったらどうなるかなと、ふと思った。システム障害が起きたら、コンピュータのない暮らしに戻れば良いではないかと、簡単に言へないのが文明の進んだ現代の辛いところである。そんな暮らしになればどんなに穏やかな気持ちで生きられるかなと羨む気持ちも幾分あるのだが。日本でならば、いざといふ時のために、常に現金をいくらか持ってゐた方が良いかもしれない。だがスウェーデンでは、もはや現金を使へない場所が多いので、非常時に備へて現金を手元におくといふ考へは現実的でない気がする。システム障害も怖いが、大規模停電も恐ろしいと思ふ。

子供の頃の日本の夏休みってこのくらいの暑さだったよね。夏を満喫。