森の散歩道

2021-05-01 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 20 日> (仏滅 己酉 七赤金星)八十八夜 Första maj Valborg   第 17 週 第 26376 日

 

午後の散歩はひとりで行くことが多い。資源ゴミとなる牛乳パックやプラスチック袋類を家でスマホでスキャンして(かうすればポイントがたまる( Bower といふアプリ))、それをゴミの回収所に持って行き、所定のコンテナに捨てる。それからそのあたりをグルリと回って帰ることが多い。ほぼ毎日やるので、量は少ない。今日は殆どゴミがなかった。それでゴミの回収所に寄らなかった。すると手ブラになり、ちょっと遠くまで行ってみようかといふ気が起きた。Janstorpsskogen といふ森の入口まで行ってみた。ハイキング用の道があって、乗馬のための道も用意されてゐる。スウェーデンに住むと、自宅から歩いて行けるところに森があることが多い。ありがたいことだ。いつもとは少し違ふ道を歩いた。時々人に会った。家に帰ると同居人は庭で、先日買ってきた土を補充する作業をしてゐた。忙しさうであったから「今日はひとりでお茶を飲むよ」と言ふと、驚いたことに「お茶なら私も付き合ひます」と言って作業の手をやめた。作業はいつでも区切りがつくらしい。どんなに忙しい仕事の最中であっても、もし、いきなり大地震が来れば、人はそれまでの作業をやめて逃げ出すだろう。同居人はそれと同じ程度の重要性を日常のお茶に感じてゐるものらしい。ある意味ではお茶の極意に通じた達人かもしれないと思った。

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Janstorpsskogen といふ森の入口の案内板。

 

Valborgsmässoafton

2021-04-30 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 19 日> (先負 戊申 六白金星) Mariana Valborgsmässoafton Konungensfödelsedag   第 17 週 第 26375 日

 

4月末日。日本ではゴールデンウイークが始まってゐる。でも、コロナ禍の連休ってどうなのかなと思ふ。鬼に笑はれても構はない、来年のGWはどうなんだろうって、誰かと話してみたい。来年と言はず、3ヶ月先のオリンピック、パラリンピックだってどうなるのやら。この頃、大都会ばかりでなく、地方でも感染が広がってゐるようである。ほとんど全ての都道府県で新規感染が見つかって、それがもう2週間以上続いてゐる。スウェーデンでも新規感染者は毎日7000人以上あり、それがひと月以上も続いてゐる。ワクチン接種は進んで、僕の住む地域では、今は59歳以上の人が予約できるようである、が、供給の関係で、若い人への接種は予定よりも遅れるような話も聞いた。今日は Valborgsmässoafton で、例年なら夕方野外でキャンプファイヤーのように火を囲んで人々は春を祝ふのだが、多分今年は(去年もであったが)どこもやってないと思ふ。ラジオからはその歌だけが何度かかかった。歌を聞くだけでも春の喜びはある。今日はスウェーデン国王のお誕生日でもあった。今年75歳になられて、海辺で祝砲が鳴り、式典があったとニュースで見た。日本では昨日は昭和天皇のお誕生日であった。ついでにいふと、上皇様のお誕生日の12月23日はスウェーデンのシルビア王妃のお誕生日ででもある。もっとついでにいふと、高校時代に担任になっていただいた森先生は、お誕生日が上皇后様と同じで、お年は上皇様と同じである。昔は帰省のたびにお目にかかったが、今もご健康でゐらっしゃることと思ふ。つい遠い故郷を思ひだしてしまった。

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若葉の始まる木々を見かける

 

地球といふ星

2021-04-29 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 18 日> (友引 丁未 五黄土星)昭和の日 Tyko Ledarhundens dag   第 17 週 第 26374 日

 

鎌田浩毅著「やりなおし高校地学ー地球と宇宙を丸ごと理解する(ちくま新書)」を引き続き読む。地球は生きてゐる。大地は長い長い時間をかけて動く。生命が生まれる。生命が地上に広がる。僕の命も結局は大地から生まれたものかと思ふ。すると大地も自分も同じものかと言ふ気もしてくる。地球史の中で生物の大量絶滅が何度かあった。原因はそれぞれだが、似たようなことはこれからも起こりうる。さしあたっての人類の危機は地球温暖化、異常気象、海洋汚染などであるけれども、それらをクリアできたとしてもその先には色々と困難が待ってゐる。南海トラフフィリピン海プレートユーラシアプレートの下に潜り込む。そこに非常に大きな歪みがたまってゐる。ここが跳ねて大地震が発生するのはもう時間の問題で、さう遠くない将来に日本が体験しなければならない宿命になってゐる。富士山だって噴火するかもしれない。地磁気の反転もいつ起きるかわからない。太陽からの粒子や宇宙からの放射線が地球を避けて通過するのは、地球の周りの磁気圏が防いでくれてゐるからである。地磁気の反転が起きれば、その過渡期の千年ほどは磁気のない期間があるといふ。この間、宇宙からの放射線は地上にまっすぐに差し込んで生命は滅びてしまふ。平和で住みよい星に住むことができる幸せは、決して当たり前と思ってはいけないと思ふ。

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スウェーデンの僕の住む地方ではいまが花の盛り

 

平家物語「大納言死去 3」

2021-04-28 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 17 日> (先勝 丙午 四緑木星) Ture Tyra   第 17 週 第 26373 日

 

源左衛門尉信俊は、大納言北の方や幼いお子たちのお手紙を預かると、はるばると備前国有木の別所へ赴いた。配所の見張りをしてゐた武士難波次郎常遠に案内を申し入れると、本来なら面会も許されないところであるが、信俊の志の深さに動かされて、すぐに面会が許された。大納言入道殿は今も都のことを人々に物語って歎き沈んでをられたところであったのだが、「京より信俊がやって参りました」と申し入れると、「エーッ、夢ではないか」と驚いて、大慌てで起き直り、「さあさあ、こちらへ」と迎へ入れた。信俊がそこへ足を踏み入れると、最初に感じたのはお住ひの酷いのもさうだったけれども、墨染の衣をつけたお姿を拝見したのには目も昏み、心も消え入る思ひであった。北の方から言付かったことを、細々と申し上げて、お手紙を取り出してお渡しした。それを開けてご覧になると、涙にくれて北の方の筆跡をはっきりと見ることはできなかったが、どこがどうとはっきり見えなくても「おさなき人々のあまりに恋ひ悲しむ様子を見れば、私も尽きないもの思ひを耐へ忍ぶこともできません」などと書かれてあるのを見れば、これまでの悲しさは物の数でもなかったような、新たな激しい悲しみをお感じになるのであった。

そのようにして四、五日が過ぎた。信俊は「このままこの土地でお仕へ申し上げて成親卿のお最期をお見届け申し上げませう」と言ったが、見張りの武士難波次郎常遠は「それはダメだ」と強く何度も言った。成親卿はやむなく「それなら都に帰りなさい。私はそのうちに殺されるだろう。もうこの世に居ないことを伝へ聞いたなら、十分注意してわが後の世を弔ってくれよ」と言はれた。お返事をしたためて信俊にお渡しになった。信俊は「また参ります」と言って退出しようとするのだが、「今度来てくれる時まで生きてゐられるかもわからないのだよ。ああ、あまりに慕はしい。もう少し居てくれないか」とおっしゃって、何度も呼び返されるのだった。

いつまでもさうしてもゐられないから、信俊は涙を抑へて都へ帰り上った。北の方に御文をお届けした。北の方はこれを開けてご覧になった。もう出家したよと言はぬばかりに髪の一房が、巻いた手紙の最後に置かれてあった。それはふた目とご覧にもならなかった。「このような形見の頭髪こそ今では却って涙の糧となって恨めしいこと」とばかりに、うつ伏せてお嘆きになった。(この台詞は、古今集の かたみこそ今はあだなれこれなくは忘るる時もあらましものを を踏まえる)おさなき人々も声をあげて泣き悲しまれた。

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教会の前にSvenska kyrkan の旗がはためいてゐた。

 

床屋へ行く

2021-04-27 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 16 日> (赤口 乙巳 三碧木星)満月 Engelbrekt   第 17 週 第 26372 日

 

町で人とすれ違ふことがあると、相手の目は僕に「この町にも床屋はあるのだよ。なんだいその髪は」と言ってゐるような気がする。もっと身近な同居人は「私が切ってあげようか」とおせっかいなことばかり言ふ。そんな毎日に耐へられなくなって、たうとう今日は床屋へ行った。前の人がちょうど済んだところで、待ち時間ゼロであった。密は自づから避けられた。床屋のおっさんは僕の髪を見てちょっとギョッとしたようだった。家計簿を見ると、前回床屋へ行ったのは去年の1月24日であった。その頃はまだコロナは中国などの遠い国に流行の兆しがある程度にしか認識してゐなかった。実に1年3ヶ月ぶりの床屋である。これだけ放置すれば髪は伸び放題に伸びる。人となるべく接触しないようにといふ表向きの用心の陰で、実は僕は髪を伸ばしてみたかったのだ。だが、髪だけ伸ばしてもやはり仙人にはなれない。しわくちゃの老人になるばかりだ。いっそ坊主にしようかとも思ふのだが、スラッと形の良い頭でないので、それも躊躇はれる。結局普通に刈ってもらふことになった。床に長い白髪がまとまってフワッと落ちる。美しい。自分の肌にまだ付いてゐる間にそんなことを言ふとナルシストになってしまふが、身を離れた後ならいくら褒めてやっても良い筈だ。「ああ、美しい髪よ、これまでありがたう」。床屋のおっさんはそんな美しい髪を惜しげも無く箒ではいて「200 クローネだよ」と言った。

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桜越しに見える Nyköpingshus

 

プレートテクトニクスとプルームテクトニクス

2021-04-26 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 15 日> (大安 甲辰 二黒土星) Teresia Terese   第 17 週 第 26371 日

 

プレートテクトニクスといふ理論は今では常識になってゐる。僕も人に説明できるほどは知らないが、とても興味を持ってゐる。僕らの住む大地は不動ではない。日本の国は、4つのプレートの上に乗ってゐる。陸のプレートとしてユーラシアプレート、北アメリカプレートがあり、海底プレートとして太平洋プレート、フィリピン海プレートがある。この4つのプレートがぶつかってせめぎ合ふ場所が、三陸沖の日本海溝であったり、和歌山、四国沖の南海トラフであったりする。糸魚川と静岡を結ぶフォッサマグナユーラシアプレートと北アメリカプレートの境界である。太平洋プレートは三陸沖の日本海溝で北アメリカプレートにぶつかり、その斜め下方へ沈みこむ。相手がグイグイと下へ沈み込んでくるので、北アメリカプレートの境界部には歪みが蓄積し、あるところまでくると耐えられなくなって、ポーンと跳ねる。そこで巨大な地震が起きる。2011年3月の東日本大震災はそのようにして起きた。ところで、沈み込んだ太平洋プレートはその後、どのようになるのだろうか。それがひとつの疑問であったが、昨日読んだ本に書いてあった。プレートが沈み込む場所は地殻と上部マントルの境である。地球の内部はかなり高温で、中心部へ行けば行くほど温度が高い。まださほど熱くない上部マントルでも 1500℃から2000℃もある。岩石が溶けてしまふ温度のように思ふが、ビシッと圧力がかかってゐるために固体のままである。固体のままではあるのだが、プレートはその中をじわじわと中心部に向かって進み、下部マントルとの境界に達する。下部マントルは密度が大きいので、それより先には進めない。しかし、そこでプレートの残骸が成長して巨大になると(直径数百km)、下部マントルよりも密度の大きな物質に変はる。そこでプレートの残骸は下部マントルの中をさらに沈み込むようになり、ついには外核表面まで到達する。そこは5000℃もある世界である。この地球の中心へ向かふ流れの理論はプルームテクトニクスと呼ばれる。地球といふ星は内部でも不思議なことがいっぱいだ。他の惑星ではこのようにはなってないと思ふ。宇宙広しといへども地球に似た星を見つけるのは難しいのではないかと思ふ。今日の記事は、鎌田浩毅著「やりなおし高校地学ー地球と宇宙を丸ごと理解する(ちくま新書)」(Kindle版)を見て書いた。

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階段のある道を散歩することもある

 

平家物語「大納言死去 2」

2021-04-25 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 14 日> (仏滅 癸卯 一白水星) Markus   第 16 週 第 26370 日

 

備前国に流された新大納言・藤原成親は、平家の迫害が少しは緩やかになるかもしれないと思ってゐたのだが、子息・丹波少将成経が鬼界ヶ嶋へ流されたと聞いて、今となってはさうまで気を強く持って、何に期待ができるだろうかと弱気になってしまはれた。「私にはもう出家しかない」さう思って、小松殿に手紙を書いた。後白河法皇にお伺ひがたてられ、法皇からは出家のお許しが出た。それで成親はすぐに出家した。これまでは栄華の袂に身を包んでをられたのが、浮世を捨てて墨染の袖に身をやつされた。

大納言の北の方は、京都の北山雲林院の辺にひっそりと暮らしてをられた。罪人の身内でなくても、住みなれない土地に住むのは辛いのに、世をしのばなければならない身の上であるので、いっそう辛い毎日でおありだった。以前にはたくさんの女房や侍があったのに、その人たちは、あるいは世を恐れ、あるいは人の目が気になって、訪れる人もなかった。けれどもそんな中で、源左衛門尉信俊といふ侍だけは、情けが深い人であったので、日頃から北の方を御慰問申し上げてゐた。ある時北の方は信俊に言はれた。「夫は備前の児島にゐると聞いてゐたけれども、最新情報によると、どうも有木の別所とかいふところにゐらっしゃるらしい。なんとかして今一度、私からちょっとした手紙を差し上げて、夫の音信をもらひたいものです。」信俊は涙を抑へて申し上げた。「幼少より御憐れみをかけていただいて、片時もそのご恩を忘れてはをりません。成親卿がお流されになった時は、なんとかして私もお供させてくださいと頼みましたが、六波羅さまのお許しがいただけなかったので、力が及びませんでした。私をお呼びくださった時の御声も耳に残ってをり、お叱りをいただいた時のお言葉も心に刻み込まれてをります。片時も忘れてをりません。たといこの身はどうなろうと、お手紙をお預かりして彼の地へお届けいたします。」これを聞いて北の方は大いによろこび、早速手紙を書いて信俊にお渡しになった。幼いお子たちもそれぞれ御手紙を書かれた。

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若葉する木もチラホラ見かけるようになった