平家物語「大納言死去 3」

2021-04-28 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 17 日> (先勝 丙午 四緑木星) Ture Tyra   第 17 週 第 26373 日

 

源左衛門尉信俊は、大納言北の方や幼いお子たちのお手紙を預かると、はるばると備前国有木の別所へ赴いた。配所の見張りをしてゐた武士難波次郎常遠に案内を申し入れると、本来なら面会も許されないところであるが、信俊の志の深さに動かされて、すぐに面会が許された。大納言入道殿は今も都のことを人々に物語って歎き沈んでをられたところであったのだが、「京より信俊がやって参りました」と申し入れると、「エーッ、夢ではないか」と驚いて、大慌てで起き直り、「さあさあ、こちらへ」と迎へ入れた。信俊がそこへ足を踏み入れると、最初に感じたのはお住ひの酷いのもさうだったけれども、墨染の衣をつけたお姿を拝見したのには目も昏み、心も消え入る思ひであった。北の方から言付かったことを、細々と申し上げて、お手紙を取り出してお渡しした。それを開けてご覧になると、涙にくれて北の方の筆跡をはっきりと見ることはできなかったが、どこがどうとはっきり見えなくても「おさなき人々のあまりに恋ひ悲しむ様子を見れば、私も尽きないもの思ひを耐へ忍ぶこともできません」などと書かれてあるのを見れば、これまでの悲しさは物の数でもなかったような、新たな激しい悲しみをお感じになるのであった。

そのようにして四、五日が過ぎた。信俊は「このままこの土地でお仕へ申し上げて成親卿のお最期をお見届け申し上げませう」と言ったが、見張りの武士難波次郎常遠は「それはダメだ」と強く何度も言った。成親卿はやむなく「それなら都に帰りなさい。私はそのうちに殺されるだろう。もうこの世に居ないことを伝へ聞いたなら、十分注意してわが後の世を弔ってくれよ」と言はれた。お返事をしたためて信俊にお渡しになった。信俊は「また参ります」と言って退出しようとするのだが、「今度来てくれる時まで生きてゐられるかもわからないのだよ。ああ、あまりに慕はしい。もう少し居てくれないか」とおっしゃって、何度も呼び返されるのだった。

いつまでもさうしてもゐられないから、信俊は涙を抑へて都へ帰り上った。北の方に御文をお届けした。北の方はこれを開けてご覧になった。もう出家したよと言はぬばかりに髪の一房が、巻いた手紙の最後に置かれてあった。それはふた目とご覧にもならなかった。「このような形見の頭髪こそ今では却って涙の糧となって恨めしいこと」とばかりに、うつ伏せてお嘆きになった。(この台詞は、古今集の かたみこそ今はあだなれこれなくは忘るる時もあらましものを を踏まえる)おさなき人々も声をあげて泣き悲しまれた。

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教会の前にSvenska kyrkan の旗がはためいてゐた。