京急衝突脱線事故

2019-09-07 (土)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 9 日>(仏滅 丁未 五黄土星) Kevin Roy 第 36週 第 25776 日

 

二日前に、京急線で衝突・脱線事故が起きた。神奈川新町駅付近の踏切に大型トラックが入って電車と衝突、脱線。トラックは炎上し運転手は死亡した。乗客の怪我人多数あり。鉄道史上に残る大事故であった。事故状況の詳しいことは分からないが、大型トラックの運転手は道を探して細い通りに迷ひ込んでしまったのではないかと思ふ。自動車を運転してゐて「魔がさす」といふのか、こっちの道から行ってみようかなといふことは誰にもあると思ふ。大型車両を狭い通りに乗り入れて、交差点まで来て右折も左折もならない状況に追ひ込まれた時、運転手の焦りは極大に達したと思ふ。まさかその数分後に自分が大事故を起こすことになろうとは思ひもよらなかったのではないか。事故の原因調査は専門家に委ねるしかないが、僕は日本での自動車の運転文化の低さに遠因のひとつがある様に思はれてならない。主な道路が混雑してゐると、節度なく脇道に入って混雑を避けて目的地へのショートカットを行ってしまふ人が多い。今回の事故を起こしたトラックがさうであったかどうかは分からないし、最近はナビゲーターが発達してゐるので状況は違ふかもしれないが、日本では一般に知られてゐない裏道をくぐり抜けて早く行けたと得意がる様な雰囲気がある様に思ふ。それを僕はここで、自動車の運転文化の低さと呼んでみたのである。ちなみにスウェーデンでは脇道に入っても車返しに行き着くだけで、結局主な道路に戻ってしか走ることができない様な構造になってゐる。その辺が日本では無節操な気がし、ひいてはそれが今回の様な事故を起こす遠因となってゐるのではないかと思ふ。

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一昨日の写真と同じ時、同じ場所。

 

孫と過ごす時間

2019-09-06 (金)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 8 日>(先負 丙午 六白金星)上弦 Lilian Lilly 第 36週 第 25775 日

 

毎日が日曜日の様な気楽な生活であるが、それなりに自分に課することもある。かうやってブログをほぼ毎日の様に書き込むこともその課題のうちのひとつであるし、掃除、語学の勉強、漢詩を一首づつ手書きで写し取ることなども課題のうちである。だが、他に課題をたくさん作ってあまり欲張ってはいけないと思ふ。もう僕は高齢者なのだ。いつもとはちょっと違ふ用事が入るだけですぐにあふれてこぼれてしまふ。若い時の様に柔軟にこなすことができない。それでも、娘から子供を見ててほしいと依頼があった時などは、全てのことを横に置いてそちらを優先する。今日も午後からになって Stockholm まで行ってきた。こちらはふたりとも認知症になりかかってゐるので、これを防ぐために自分なりに考へたプログラムを日課の中にあれこれと用意するのだが、孫と一緒に過ごす時間ほど有効な対策はないと断言できる。楽しい時間を過ごして帰って来た。

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Stockholm の夕景。対岸は Södermalm。

 

世界はいくつもあるけれど

2019-09-05 (木)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 7 日>(友引 乙巳 七赤金星)Adela Heidi 第 36週 第 25774 日

 

自分とは何だろう?どこから来たのだろう?宇宙はどこまで広がってゐるのだろう?この様な疑問は誰もが多かれ少なかれ抱くものだと思ふ。量子力学の学説の中に、「多世界解釈」と呼ばれるものがある。存在することと観測することとの接点で、一人の人間が何かを見るたびに世界が決まる、といふ考へ方だ。自分に感知できないだけで、世界は実は無数に存在する。無数にある中のひとつだけを各自が選びとってゐる。僕の眼に映る宇宙は他人の目に映る宇宙とは違ふものかもしれない。別のものなのにあまりにも共通部分が多いので、両者は同じ時空を共有してその中に棲む様に見えるだけなのだ。社会を見れば、地震があったり、津波があったり、火山が噴火したり、交通事故があったり、あふり運転をする人が居たり、すぐに怒る人が居たり、虐待があったり、いぢめがあったり、テロがあったりする。過去には戦争があり、広島や長崎に原爆を落とされることもあった。もっと良い世の中にならないものかと思ふが、自分の住む世界がその様であるのは、過去何万年かの人類の遺伝子を引き継ぐ自分の宿命なのだ。トランプ大統領ツイッターを聞くにせよ、貿易戦争が過熱するのを見るにせよ、世の中に起こる様々の事象は自分の毎日の暮らしとは全く無縁である様に見えて、実は自分の宿命の中に必然的に起こることなのだ。もっと良い社会に身を置けば別の世界が開ける。もっと良い社会に身を置くためには、あらゆる事象を責任を持って自分の目で見ることだ。そこに意思決定があり、選べばまた新しい地平が開ける。それを無限に繰り返すので、取り得る世界の組み合はせは無限になる。そのひとつを選べば他は見えない。選びとった世界がどの様に展開するかは、畢竟自分のものの見方にかかってゐる。良い社会が実現するかどうかはそれを観測する個人によって決まるのだ。夜中に目が覚めるとそんなことを思ふ。

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晩夏の Nyköping

 

Apollo 11

2019-09-04 (水)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 6 日>(先勝 甲辰 八白土星)Gisela 第 36週 第 25773 日

 

Apollo 11 の映画を見た。同居人はその手の映画には興味がないかなと心配したのだが、誘ってみると急にウキウキし始めた。映画なら何でも良いらしい。家を出る直前にネットで切符を買ふと60席ほどの会場に観客は4人であった。ちょっと申し訳ない気もするが、実に贅沢に映画を見せていただいた。今年は人類が月に着陸して50年目である。その記念の映画であるが、アポロ計画は実に壮大なプロジェクトであったと、映画を見て今改めて思ふ。地球を出発する時のサターンV型ロケットの巨大な噴射は迫力満点であった。地球の周りを回る軌道に乗せる、月に向けて加速する、月の周りを回る軌道に乗せる、着陸船を切り離す、着陸船を降下、月に軟着陸させる、ニール・アームストロングエドウィン・オルドリンの二人が月面を歩く、着陸船に戻る、イーグルが月面から上昇する、月を周回するコロンビアで待機するのはマイケル・コリンズ、ドッキング、イーグルから司令船に移動して、イーグルを切り離す。月を周回する軌道を離れて加速して地球に向かふ。地球の大気圏内に突入、着水。簡単に並べてみるだけでも実にたくさんのクリティカル・ポイントがあり、それぞれで細心の注意が要る。それらを全て成功させて無事帰還したのは今見ても驚異だ。よくも50年も前にこれだけのことをやったものだと改めて感心した。月面着陸の記念すべき日は 1969年7月20日、出発から帰還まで9日間の宇宙の旅であった。この宇宙飛行士3人は同じ年に日本の文化勲章も受章してゐる。1961 年のケネディ大統領の演説「この60年代に月に人類を送る」といふ目標はアメリカの威信をかけて見事に達せられた。今では日本も、はやぶさ2を発射し、月よりもうんと遠いところまで出かけて行って華々しい成果を上げてゐるが、宇宙船に人を乗せるとなるとまた話は別かなと思ふ。今日はドキュメンタリー映画を見てえらく興奮した。

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映画館内のコリドールからは、大きな窓にフクロウのロゴ、それを通じて外が見える。

 

同じ釜の飯

2019-09-03 (火)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 5 日>(赤口 癸卯 九紫火星)Alfhild Alva 第 36週 第 25772 日

 

「同じ釜の飯を食ふ」といふ言葉は死語になりつつあるのではないかと思ふ。昔、戦争に行った兵隊さんたちは、戦地において文字通りの意味で苦楽を共にしたから、そんな言葉にもリアルな感慨があったのだと思ふ。時代が下がるにつれて、人々はあまり苦楽を共にしなくなった。個人の苦しみが消えたわけではないが、きっとそれぞれが孤独に昔とは別な苦しみ方をしてゐるのだと思ふ。今はどうかすると、「ひとり御膳」であったり、コンビニ弁当ですます人も増えたのではないかと推察する。一つ屋根の下でご飯を炊いて、一緒に食べる生活様式はだんだん消えていくのかも知れない。だが、異国にあっても我が家では食事を共にする習慣を細々と続けてゐる。夕食にはご飯を食べる。1日に1合の飯を炊いて、それを二人で分けて食べる。お互ひを戦友の様に感じる。もちろん僕は2等兵、向かうは1等兵である。かくして我が家では「同じ釜の飯を食ふ」といふ言葉が、何とか保たれてゐる。

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岩がよく露出してゐるのを見かける。地震はほとんどない。

 

羽田空港国際線、昼間増枠の配分決定

2019-09-02 (月)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 4 日>(大安 壬寅 一白水星)Justus Justina 第 36週 第 25771 日

 

今日、国土交通省から、羽田空港の国際線発着枠の増枠分が公開された。それによると、JALANA と併せて 25 便が増枠され、残りの25便枠が外国の航空会社に割り当てられた。その中に、スカンジナビア航空 SAS の1便分が含まれた。このことによって、従来の成田ーコペンハーゲン便は羽田ーコペンハーゲン便となり、空いた成田空港の1枠は成田ーストックホルム便となる可能性が高い。まだ SAS から発表があったわけではないが、さうなる可能性は高い。この増枠は、2020年の夏期スケジュール(2020年3月29日)から適用される。SAS は日本の航空会社では ANA と提携して、コードシェア便になると思はれる。僕はこれまでヘルシンキまで出て JAL を利用して来たし、そのマイルも相当溜まったのだが、ここでハタと考へてしまふ。SAS は今でもよくストライキをする航空会社で、その意味ではあまり親近感を持てないのだが、ストックホルムから日本へ乗換なしで行けるとなるとそんなことばかりも言ってられない気もする。今日のニュースは個人的に気になるニュースであった。

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Nyköping 川、町の中ほどの小さな滝。

 

血筋と遺伝子

2019-09-01 (日)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 3 日>(仏滅 辛丑 二黒土星二百十日 Samuel Sam 第 35週 第 25770 日

 

血筋といふのは大事にすべきものと思ふ。誰でも自分の先祖を敬ふことは良き行ひであると思ふ。どんな人にも父と母がある。その父母のそれぞれにまた父と母がある。自分を構成する遺伝子の組み合はせの可能性はこの様に代を遡れば指数関数的に増えて行く。これに対して、例へば男親だけをたどって一本の筋を辿れば系図になる。それはそれで何も文句はないのだが、その系統をあまりに過大視するのはどうかと思ふ。誰も生物的には混ざり合ひの結果として生まれてくるだけのものなのだ。元々は高貴な血であっても結局は混ざり合ふ。むしろよく混ざり合った方が多様性が出る。血筋の伝統、もしくは家の伝統を重んじる気持ちは大事だが、それと、生物的な遺伝子の広がりをよく知る気持ちと、両方をバランスよく持つことが大事ではないかと思ふ。昨日書いた読後感の続編として書いた。

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今日は Stockholm で過ごした。北欧の首都の海辺。