血筋と遺伝子

2019-09-01 (日)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 3 日>(仏滅 辛丑 二黒土星二百十日 Samuel Sam 第 35週 第 25770 日

 

血筋といふのは大事にすべきものと思ふ。誰でも自分の先祖を敬ふことは良き行ひであると思ふ。どんな人にも父と母がある。その父母のそれぞれにまた父と母がある。自分を構成する遺伝子の組み合はせの可能性はこの様に代を遡れば指数関数的に増えて行く。これに対して、例へば男親だけをたどって一本の筋を辿れば系図になる。それはそれで何も文句はないのだが、その系統をあまりに過大視するのはどうかと思ふ。誰も生物的には混ざり合ひの結果として生まれてくるだけのものなのだ。元々は高貴な血であっても結局は混ざり合ふ。むしろよく混ざり合った方が多様性が出る。血筋の伝統、もしくは家の伝統を重んじる気持ちは大事だが、それと、生物的な遺伝子の広がりをよく知る気持ちと、両方をバランスよく持つことが大事ではないかと思ふ。昨日書いた読後感の続編として書いた。

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今日は Stockholm で過ごした。北欧の首都の海辺。