平家物語 巻第五 「富士川 7」

2024-03-11 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 2 日>(先負 甲戌 八白土星) Edvin Egon    第 11 週 第 27425 日

 

また、大将の維盛は、東国の案内者として、長井(埼玉県大里郡)に住む斎藤別当実盛を呼んで質問した。(斎藤家は代々越前の家だったが実盛の時、武蔵国に移った。実盛は保元・平治の乱では源義朝についたが、義朝の死後は平宗盛・維盛に仕へた。後に木曽義仲と戦って戦死。実盛が首を洗ったと伝はる池が近くにあるとか、子供の頃に聞いたことがある。注記がちょっと脱線した)。「やや実盛、汝ほど強弓をひくものは八カ国にどれほどあるか?」と聞くと実盛はフフンと笑って答へた。「といふことは貴方様はこの実盛を大矢(長い矢)の使ひ手とお思ひですか。私はわづかに十三束の弓を使ふだけです。これくらいの弓を射るものなら八カ国にいくらでもをります。大矢と名乗るもので十五束以下の弓を引くものなどをりません。長さばかりでなく、弓の強さにしても大変なものです。腕っぷしの強いものが5、6人かかって張ります。この様な精兵が射れば、鎧が二つ三つ重なってもたやすく射通してしまひます。土地の豪族で大名と呼ばれる人なら、勢が少なくても五百騎以下といふことはありません。馬に乗ったら落ちるといふことを知りません。険しい場所でも馬を倒さずに走ります。いくさとなれば親が討たれやうが子が討たれやうが屍を越えて戦ひます。西国のいくさといへば、親が討たれれば供養して、その忌みが明けてから寄せ、子が討たれればその悲しみに戦意をなくしてしまひます。兵糧米が尽きれば、田を耕して収穫してから戦ひます。夏は暑いと言ひ、冬は寒いと言って嫌ひます。東国では様子が全然違ひます。甲斐・信濃の源氏どもはこの辺の地理に通じてます。富士の裾野から搦手にまはることでせう。こんなことを言へばあなた様を臆するだらうと思って言ふのではありませんよ。いくさは勢にはよらず、計略によって勝負が決まることを申し伝へたいのです。実盛は今度のいくさに命生きて、再び都へ参らうなどとは思ってません。」と言ふので、平家の侍どもはこれを聞いて、みな震へわななきあった。

雲を見て感動する日もある