平家物語 巻第五 「富士川 5」

2024-03-09 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 29 日>(大安 壬申 六白金星) Torbjörn Torleif    第 10 週 第 27423 日

 

平家の軍勢は京の都を立って、遠い東海の地へと進んだ。無事に帰って来られるかどうか誰にもわからない。あるひは野原の露に宿を借り、あるひはたかねの苔に旅寝をし、山を越え河をかさね、何日も進んだ。そして10月16日には駿河国清見が関(現・静岡県静岡市清水区興津)に着いた。都を出た時は三万餘騎であったが、途中から加はる兵士も集めて、七万餘騎に膨れ上がった。先陣は蒲原・富士川に進み、後陣はまだ手越・宇津屋(安倍川のあたり)に居た(富士川から安倍川まで30kmほどある)。大将軍権亮少将維盛は侍大将上総守忠清を呼んで「私の考へでは、足柄を越えて坂東で戦をしようと思ふ」とはやったが、忠清が言ふには「福原を出発した時、清盛様から作戦については忠清に任せる様にとのご命令がありました。八カ国の兵士たちがみな頼朝についてあれば、その数は何十万騎にもなりませう。我が方は七万餘騎あるとは言っても、諸国からかり集めただけの兵士です。馬も人も疲らせてしまひました。伊豆・駿河から当然馳せ参ずるはずのものたちもまだ見えません。ここは富士川を前にして味方の軍勢が集まるのを待つべきだと思ひます。」と言った。維盛の力およばず、軍師忠清の言ふ作戦にしたがふことになった。

気温は低いが春の感じあり