平家物語 巻第四 「橋合戰 1」

2023-02-17 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 27 日>(先負 丙午 七赤金星) Alexandra Sandra 第 7 週 第 27037 日

 

高倉の宮は三井寺を去って南都へご出発になったが、宇治に着くまでの間に六度までも御落馬あった。これは昨夜お眠りになれなかったからだといって、宇治橋の一部を三間ほど引き外してから、平等院でしばらくご休息をとっていただいた。六波羅では「すはや、宮は南都へ落ちて行かれたぞ。追っかけて討ち奉れ」と言って、二万八千餘騎が木幡山うち越えて、宇治橋のたもとに押し寄せた。大将軍には、左兵衛督知盛(清盛の四男)、頭中将重衡(清盛の五男)、左馬頭行盛(清盛の孫、基盛の子)、薩摩守忠度(忠盛の子で清盛の弟)、侍大将(身分は侍であるけれども一軍の将となる者)には、上総守忠清(藤原忠清)、その子上総太郎判官忠綱、飛騨守景家(藤原景家)、その子飛騨太郎判官景高、高橋判官長綱、河内判官秀國、武蔵三郎左衛門有國、越中次郎兵衛尉盛繼、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清がリーダーであった。平家は敵が平等院にゐるとみてとったので、鬨の声を三回あげた。すると応じる様に宮の御方にも鬨の声が上がった。先陣が「橋が外されてゐるぞ、気をつけろ。橋が外されてゐるぞ、気をつけろ。」と大声で喚くのだが、後陣にはその声が届かない。我先にと進んで来るので、先陣の二百餘騎は押し落とされて水に溺れて流された。橋の両方の詰めから開戦の合図の鏑矢が放たれた。

久しぶりに雨。この雨で自動車を拭いてやりたかったが、その元気もなく家で過ごす。