平家物語 巻第四 「競(きをほ) 6」

2022-12-07 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 11 月 14 日>(赤口 甲午 三碧木星)大雪 Angela Angelika 第 49 週 第 26965 日

 

さて、その日(治承4年(1180年)5月16日)は早朝から高倉の宮が三井寺へ入られたが、その日も夜に入って、源三位入道頼政、嫡子伊豆守仲綱、次男源大夫判官兼綱、六条蔵人仲家、その子蔵人太郎仲光をはじめとして、都合その勢三百餘騎が三井寺へ入った。彼らは自分たちの住む館に火をかけ、焼き払ってから移動したのである。ところが、その中に源三瀧口競がゐなかった。馳せ遅れて、六波羅の平家のお屋敷から下手に動けなくなってしまったのである。前右大将宗盛卿は、邸内にまだ競がゐるものだから声をかけた。「そなたは頼政法師の家来ではないか。どうして一緒にお供をしなかったのかね?」競はかしこまって返事をした。「頼政さまに一大事が起こった時には、私は真っ先をかけて頼政さまに命を差し上げようと、日頃から思って来ました。それなのに頼政さまは何を思はれたか、私に何も仰せにならなかったのです。」「そもそも頼政法師は今や朝敵であるぞ、そんなものに同心するのもどうかな。そなたはこの平家にも出入りするものではないか。将来の出世のことも考へて、どうだこの際、当家に奉公してはどうか。悪いやうにはしない。思ふところをありのままに申せ。」と言はれるので、競は涙をはらはらと流して返事を申し上げた。「先祖代々の情誼は無視できないものではありますけれども、どうして朝敵となる人に同心することができませうか。こちらの御殿でお仕へさせてください。」宗盛卿は「さうか、それなら奉公しなさい。そなたが頼政法師から受けた待遇にちっとも劣らない条件で召し抱へるぞ。」と言って中に入って行かれた。宗盛卿は強い味方を得たものだから、部下の侍に「競はゐるか」と問ふ。侍は「をります」と答へる。また、「競はゐるか」と問ふ。侍はまた「をります」と答へる。かうして朝から夕べに及ぶまで同じやりとりが繰り返されたのだった。

薄雲はあるが、12月に青空が見えるのは珍しい。東京の冬の青空が恋しい。