平家物語 巻第四 「競(きをほ) 7」

2022-12-08 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 11 月 15 日>(先勝 乙未 二黒土星)満月 Virginia 第 49 週 第 26966 日

 

やがて、平家のお屋敷にもその日(治承4年(1180年)5月16日)が暮れかけた。大将である宗盛卿が出てこられた。競はかしこまって申し上げた。「三位入道殿は三井寺にと伺ってをります。こちらからきっと討手をお向けなさることでせう。頼政方は恐るべき相手でもありません。三井寺法師や、渡辺党の親しいやつばらもをります。(渡辺党とは摂津の渡辺に住した嵯峨源氏のグループ。今も大阪市東区(今は中央区)に渡辺町があると岩波古典文学体系の注記にあり。御堂筋沿ひの本町あたりか?)奴らをよく知ってゐるので、強い敵を選んで討ち取らうかと思ふのですが、戦陣に臨むために乗る馬を親しい奴に盗まれてしまひました。御馬を一匹お下げいただくわけには行かないでせうか。」と申し出た。大将は「いかにももっともなことだ」と言って、煖廷なんりょうと言ふ白葦毛なる秘蔵の馬に良い鞍をおいて下賜された。競は自分の館に帰って、「早く日の暮れよかし。この馬にうち乗って三井寺へ馳せまいり、三位入道殿の真っ先かけて討ち死にせん」と言ふのだった。日もやうやう暮れてきたので、妻子どもをあちらこちらへ移らせた。さうして三井寺へ出立しやうとする心のうちは悲壮であった。ひゃうもん(まだらに染めた紋)の狩衣の、縫目の平たい紐を菊のやうに結ばれたのを着て、代々伝はる緋縅の鎧、星白の兜の緒をしめ、厳しげに作られた大太刀をはき、大中黒の矢24本を背に負ひ、瀧口の武士の作法を忘れまいとして、鷹の羽ではいだ、的を得るための矢2本を差し添へた。滋籐の弓を持って、煖廷にうちのり、乗り替への馬に乗せた者一騎を従へて、馬のくつわをとるものにも盾を脇にはさませて、館に火をかけ、焼き払って、三井寺へかけて行った。

六波羅では、競の家から火が出たといふことで大騒ぎになった。大将が急ぎ出て、「競はゐるか」と問ふ。周囲のものが「をりません」と答へる。「すわ、きやつに手ぬるいことをして騙されたぞ。追ひかけて討て」と命令するのだが、競はもとより優れたるつよ弓、精兵、矢つぎばやの名手、大力の剛の者。「24本の矢でまづ24人は射殺されるだらうよ。何もしない方が良い。」と言って、競に向かって行くものは誰もゐなかった。

冬の満月。高い木の梢の先が周囲にかかる。