平家物語 巻第四 「競(きをほ) 5」

2022-12-06 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 11 月 13 日>(大安 癸巳 四緑木星) Nikolaus Niklas 第 49 週 第 26964 日

 

このやうな話を聞くにつけても思ひ出されるのは、天下の人、小松のおとど平重盛)のことである。あるとき、小松殿が参内されて、高倉天皇中宮徳子(建礼門院)の方へ行かうとされた時に、2メートル以上もある蛇が、おとどの指貫袴の左の裾のふちをとったところをはひまはった。もしここで重盛が騒げば、女房たちも騒ぎ、中宮も驚かれるであらうと思はれたものだから、左の手で蛇の尾を抑へ、右の手で頭をつかみ、直衣の袖のうちに引き入れ、ちっとも騒がずにちょっと立ち上がって、「六位の蔵人は居るか」と尋ねられた。伊豆守はその頃はまだ衛府の役人で蔵人を兼ねた位であったが、「仲綱でございます」と名乗って出た。蛇は平重盛から仲綱に渡された。仲綱はその蛇をいただくと、弓場殿(校書殿)を通って殿上の小庭(清涼殿の殿上の間の前の庭)に出た。宜陽殿の納殿の中の品物を出納する子舎人を呼んで、「ほら、これを持って行け」と言ふと、「ヒェーッ、とんでもない」と頭を振って逃げ去った。仕方がないから、我が郎党、競の瀧口を呼んで、そのものに渡した。瀧口とは瀧口警護の武士をいふ。摂津の渡辺に住した嵯峨源氏で、源昇の子孫である。競は蛇を受け取るとどこかへ捨てに行った。そんなことがあった翌日、小松殿は良い馬に鞍おいて伊豆守のもとにつかはされた。「昨日の振る舞ひは立派であった。これは乗り一の馬であるぞ。夜陰に及んで美人のもとへ通はれん時、お使ひなされ。」と言って馬をくださった。伊豆守は大臣へのお返事であるので、「御馬はかしこまってお受けします。昨日の振る舞ひは、言ってみれば還城楽(げんじゃうらく、中国東北方に住む異民族の胡人が蛇を持ち袖に入れて舞ふ舞楽)に似たやうなものです。」と申し上げた。いかなれば、小松のおとどはこのやうに立派でゐらっしゃるのに、その弟の宗盛卿はさうでないのだらう。さうでないのは仕方がないとしても、その上、人が惜しむ馬をねだりとって、天下の大事に及んでしまふなんて、情けないことである。

朝の気温は -5°C まで下がった。