平家物語「醫師問答 4」

2022-02-17 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 1 月 17 日>(大安 辛丑 二黒土星)満月 Alexandra Sandra 第 7 週 第 26678 日

 

越中守盛俊は福原に帰って、重盛からの伝言を涙ながらに申し上げた。すると清盛は「これほど国の恥を思ふ大臣は、上古にも未だ聞いたことがない。ましてこれから先にあろうとも思はれない。日本といふ国に相応しない大臣であるので、きっと今度亡くなってしまふだろう。」と言って泣く泣く急いで都へのぼった。

治承3年(1179年)7月28日、小松殿は出家なされた。法名を浄蓮とつけられた。そして8月1日に、臨終の時に妄念が起こらないように祈りながらお亡くなりになった。御年43歳、盛りの年齢に見えたのに哀れなことであった。「入道相国様が無理を押し通すことがあっても、この方が間に入ってなだめられたので、世の中は穏やかであったのだ。この後天下はどうなってしまふだろう」と言って、京中の上下は嘆きあった。前右大将宗盛卿の身内の人は、「これで私たちの時代になる」と言って喜んだ。人の親の子を思ふならひは愚かであるが、子に先立たれるほど悲しいことはない。いはんやこれは当家の棟梁、当世の賢人でゐらっしゃるので、恩愛の別れ、家の衰微、どんなに悲しんでもなを余りあることだった。されば、世には良臣を失へることを歎き、平氏の家としては武略が廃れることを悲しむのだった。そもそもこのおとどは、容儀は端正で、心にはまごころをお持ちになり、才芸すぐれて、弁舌と徳行とを兼ね備へたお方であった。

f:id:sveski:20220218055023j:plain

Nyköping