禁欲生活

2021-11-23 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 10 月 19 日> (仏滅 乙亥 四緑木星勤労感謝の日 Klemens 第 47 週 第 26592 日

 

その一方でこんなことも思ふ。禁欲的な生活をする人はなぜそのような生き方を選ぶのだろうか。ひとりでに沸き起こる欲望を抑へるといふ無理をしなくても、自然の流れに沿って欲しいものは欲しいようにすれば良いのではないのかなと思ふ人も多いと思ふ。実をいふと僕も過去に禁欲的な気持ちになって生活したことがある。結論からいふと、禁欲的な暮らしをした方が、思はぬところで恵まれてしまふことがあって、欲望をむき出しにして生きるより結果的に幸福になれる場合があるように思ふ。それは、いつもさうなるといふわけでは多分ないし、そのようなご褒美がいただけるかもしれぬと、はじめから下心を持って禁欲的な生活をしても、ご褒美は来ないと思ふ。僕が試みた禁欲的な暮らしは、はたから見るほど苦行では無いような気もする。逆にいへば、苦行にならない範囲でしか禁欲しないのである。また、ご褒美があると、それが呼び水になって、自分を抑制するブレーキが緩んで、欲望を求める娑婆の生活に戻ってしまふこともある。人生はこの欲望のバランス点をどこに置くかの問ひかけの繰り返しのような気がする。現代は、自分を褒めるとか、自分を肯定し、自分の権利を主張して生きることが盛んに勧められる風潮があるように見受けられる。それはそれで一面の真理であるが、禁欲的な生活から得られる心の平安を、もっと広く考へてみるべきではないかとも思ふ。「他人の利を先に考へれば自分の利はなくなってしまふ、といふことはないのだよ」といふ教へにも通じるものがあると思ふ。

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荘厳な夜明けを見た