Learning for all 座談会

2021-02-23 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 1 月 12 日> (赤口 壬寅 三碧木星天皇誕生日 Torsten Torun  第 8 週 第 26310 日

 

ひと月ほど前に日本経済新聞に Learning for all の活動のことが紹介されてゐて、それを読んで共感できる部分があって、わづかばかりのサポーターになった。今日はズームを使ったビデオ会議があるといふので、海外からではあるが参加してみた。いくつかのグループに分かれて、僕の入ったグループは3人であったが、そのくらいの少人数であると結構気楽に話ができるものだと思った。残りの2名の方はいづれもお若くて、しっかりとした考へをお持ちで、刺激を受けた。僕は会社を定年退職して以来、毎日、自分のことばかりに時間を使ってゐるが、たまにはこの様な会議に参加して社会に目を向けることも大事かなと思った。貧困の子供達の中には、毎日、歯を磨くことさへもせずに同じシャツを着て過ごす子もあるといふ。勉強といふのは何も国語とか算数の問題を解くだけのことではないと思ふ。きちんとした生活習慣を自己管理することがまづ基本ではないかと思ふ。真面目に生活する態度ができれば、そのやり方の全くの応用で、国語や算数にどの様にむかへば良いのかがひとりでに分かってくると思ふのだ。僕は定年退職した後に、毎日、自分の身の回りの整理をすることを第一目標とした。仕事をしてゐた頃は朝起きると家を飛び出して会社に向かったから、身の回りの整理などできる様な環境ではなかったが、定年後には体調管理、睡眠管理なども含めて、かなり落ち着いた環境で身の回りの整理ができる様になったと思ふ。すると、「ああ、仕事をしてゐた頃も自分をこの様な状態にしてから仕事を始めたら、もっと質の高い仕事ができたに違ひないのに」といふ様な軽い後悔を覚えるのだ。子供の場合も全く同じで、まづ生活をしっかりすることを目標にすれば、勉強は自然についてくるのではないかと思ふ。座談会で「貧困であることは恥ではないが、貧しさに安住することは恥である」と言った人があることを僕は話したが、「いや、貧困のある社会はそれ自体恥です」と反論された。高い志とは思ふが、現実主義者である僕は貧困は社会からなくならないだろうと諦めてゐる。人はその様な理想の社会の出現を待つ間に年老いてしまふ。今はお金持ちはどんどんお金持ちになり、貧しいものはどんどん貧しくなっていく。その差が開きつつあるのだといふ。僕はその様な社会が良いとは決して思はないけれども、それほどの憤りもない。何が起こるか分からないのが人生であり、健康で文化的な最低限度の生活が保証されるなら、どの様に生きるのが良いのかを考へることは、お金持ちであるかどうかには関係ないからだ。ズームを通じて、今日は若い人と話もできたが、現場で貧困の子供達と話をするボランティアの方の苦労も大変だろうと思った。子供の心理にも通じた専門性も必要なお仕事ではないかと思った。

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雪融けは今日も進んだ。