ウイルスをばらまく人

2020-03-07 (土)(令和2年庚子)<旧暦 2 月 13 日> (友引 己酉 七赤金星) Camilla  第 10 週 第 25957 日

 

新型コロナウイルスに感染した愛知県在住の男性が飲食店へ行って「ウイルスをばらまいてやる」と発言したとニュースで見た。それに対する轟々たる非難の声もネットのニュースで読んだ。非難の声が上がるのは当然で、僕もその様な行為は言語道断であると思ふ。ただ、ここで、思考実験をしてみる。ここに10人の感染者がゐたとしよう。本人には感染したことが知らされたが、その事は他の誰にも知らされてゐないとしよう。感染した人は、常識的な人であれば、「他の人にうつしてはいけない」と思ふであろう。けれども、どこまで真剣に他の人にうつさない様に努力を払ふかは十人十色ではないだろうか。「私だって普通に生活してゐてうつされたんですもの。私が普通の生活を続けて、それで他の人にうつるんだったらそれは仕方ないね。」くらいに思ふ人は多いのではないだろうか。かういふ考へ方をするならば、その人が心のうちに「ウイルスをばらまいてやる」と発言するまでもう距離はあまりないかもしれない。ここで大事なのは人の愛だと思ふ。その人に本当に愛の気持ちがあれば、このウイルスは愛する人にだけはうつさない様にしようと最大の注意を払ふのではないかと思ふ。自分を育んでくれた社会への愛着があれば、このウイルスが社会に広がらない様に私のところで止めようといふ気持ちが自然に働くと思ふ。その人がその様に考へないとしたら、それはいつも自分のことだけ考へて、社会をその様な愛のない社会にしてしまった私たちひとりひとりに責任があると思ふ。ウイルスをばらまく人に向かって怒りをぶつける前に、立ち止まって、その辺のところを僕らは考へるべきだと思ふ。コロナウイルスの蔓延を通して、僕らは裁きを受けてゐるのだと思ふ。眼前に展開する全ての事象は、単に因果応報のことはりに従って動いてゐるだけであると言っても良い。

f:id:sveski:20200306175201j:plain

夕暮れには、淡い色の横雲がすじの様な模様を描くことがある。