地域性とは

2020-09-12 (土)(令和2年庚子)<旧暦 7 月 25 日> (先勝 戊午 九紫火星) Åsa Åslög   第 37 週 第 26146 日

 

当たり前のことかもしれないけれども、地域性とは現実の距離の近いところに集まって構成されるものだと思ふ。でもネット上では瞬時に地球の裏側ともつながるものだから、現実の距離によらないで集まりを構成することはできるのかもしれない。それはしかし、現実の距離が遠いことの故に、ひとつの文化を醸成することはできないと思ふ。テレワークだけで仕事が完結するなら、海外からだって参加が可能な筈である。すると、現実の距離の近さが特徴づける何かとは何だろう。僕は定年退職したあともスウェーデンにゐ続けてゐるが、日本に暮らす場合とは明らかに違ふ生活体験がある。それは僕にとっては貴重なものだ。しかし、毎日実際にやってゐることは、散歩を除けば、その気さへあればどこに居てもできることばかりの様な気がする。ならば、今やってゐることを日本に行ってそのままできるかといふと、さうはならないのである。そして日本に行ってしまへば、今の僕がそれなりに感じてゐるこの生活の充実感は大きく低下してしまふ気が、この頃は、する。意志薄弱なだけだろうか。人間にとってどこに住むかはその人を形成するのに意味が大きいと思ふ。望郷の念とはそのことに深く由来すると思ふ。「故郷とは、故郷を離れて住む者が、その「うぶすな」の地を呼ぶ名である。異郷にある者のみが、この語を用ゐることができる。それで故郷といふ語は、つねに郷愁を伴なふ。」白川静博士の言葉である。新型コロナ禍の中にあって、今ここに居ることの意義といふか、その得難い環境を如何に大切にすべきかといふことを思ふ様になった。その得難い状況は新型コロナの後ではますます得難くなる様な気もする。人の住む場所の地域性の意味といふものをより深く思ふ様になった。

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雨がやんだ後の夕暮れ