祈るといふこと

2021-02-16 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 1 月 5 日> (大安 乙未 五黄土星) Fettisdagen Julia Julius  第 7 週 第 26303 日

 

メールの末尾などに「あなたのご健康をお祈りします」みたいなことを、僕も時々書いてしまふ。気持ちに偽りがあるわけではないが、この「祈る」といふ言葉はあまり気軽に使ってはいけないのではないか、といふことを、その都度、併せて思ふ。岩波古語辞典には「いのり ー イはイミ(斎・忌)・イグシ(斎串)などのイと同じく、神聖なものの意。ノリはノリ(法)・ノリ(告)などと同根。みだりに口にすべきでないことばを口に出す意」と書いてある。それにしては僕らの日常では「合格を祈る」とか、「商売繁盛を祈る」とか、皆、結構気軽に使ってゐる様に思ふ。春日局は大病の家光の命を助けてもらふために自分の薬を絶って祈ったといふ。平重盛は忠と孝のはざまで命をかけて祈った。この様に、「我が身はどうなっても良い」といふ覚悟で何かを願ふ場合に「祈り」といふ言葉は用ゐられるので、僕らの日常生活にあまり汎用してはいけないのだと思ふ。ならば、どの様に言へば良いのか。なかなかうまい表現が見つからない。何も犠牲にしないで何かをお願ひすること自体、虫が良すぎるのかな。境内のお賽銭箱はそのためにあるのかな。英語では Best wishes とか言ふが、そこには我が身に代へてでも、と言ふ様な大袈裟な余韻がなくて良いなと思ふ。菅原道真は「心だに誠の道にかなひなばいのらずとても神やまもらむ」と歌った。なるほどと思ふ。

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今日はその日であるので、フィーカの時間に Minisemla を食べた。ミニでも血糖値をあげたかもしれない