平家物語「大納言流罪 3」

2021-03-22 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 2 月 10 日> (大安 己巳 三碧木星) Kennet Kent  第 12 週 第 26337 日

 

新大納言成親卿は流罪の身となって大物浦まで来たが、安元3年(1177年)6月3日になって、京からお使ひがあった。成親は「ここで果てよとの仰せか」と身構へたが、さうではなくて、備前の児島へ流せといふお達しであった。小松殿(平重盛)からの手紙も添へられてゐた。「なんとかして流刑地を都に近い山里にしてもらはうと随分嘆願したけれども、叶へられなかったのは、私が人交はりをしてゐても無駄であったのです。ですが、お命だけはお預かりできました。」と言って、お使ひの難波のもとへも「気をつけて心をこめてお仕へして成親卿のお心に背くことの無いようにせよ」とのことであった。旅の準備もこまごまとしたことまで書いてお送りくださった。

成親卿はあんなにもありがたい思召をいただいた法皇からもお離れ申し、つかの間も離れ難い北の方や幼き人々にもお別れして、「これからどんなところへ行くのだろう。二度と故郷に帰って妻子と会ふことなどできないだろうな。前回は山門の訴訟によって流されたが、その時は法皇のお情けで西の七条より都に返していただいた。一体今度のことは法皇のご処罰でもない。どの様にもできないことだな」と、天を仰ぎ地に伏して泣き悲しんだが、その甲斐もなかった。夜が明けると舟は既に下って行く。成親卿はその間もただ涙にむせぶばかりであった。生きる心地も失はれたが、その様な時でも露の命は消えることはない。舟の後に残る白波を隔てて都は次第に遠ざかった。幾日かを経て、遠国は既に近づいた。備前児島に漕ぎ寄せて、成親卿は民家のみすぼらしい柴の庵に置かれた。かういふ島の常として、後ろは山、前は海、磯の松風や浪の音があるばかりで、ただ哀れのつきぬ寂しい場所であった。

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今日も美しい空を見た