平家物語 巻第五 「富士川 6」

2024-03-10 (日)(令和6年甲辰)<旧暦 2 月 1 日>(友引 癸酉 七赤金星)新月 Edla Ada    第 10 週 第 27424 日

 

一方で頼朝方の軍勢はといへば、駿河国黄瀬川に着いた。甲斐・信濃の源氏が馳せ参じてひとつになり、浮島ヶ原(沼津の西、田子の浦のあたり)で勢揃ひした。軍勢を記した帳簿には二十万騎とある。常陸源氏佐竹太郎の雑色が、主の手紙を持って京に上るのを、平家の先陣にゐた忠清が見つけて調べた。あけてみれば、女房の元へ宛てた手紙である。差し支へあるまいと思ってその手紙を返してやった。そのついでに質問した。「そもそも頼朝殿の軍勢はどれくらいあるのか」雑色は「およそ八日九日の道には隙間なく兵士が続いて、野も山も海も河も武者でいっぱいです。私は四百、五百、あるひは千までなら数を数へられますが、それ以上はもうお手上げです。それで多いのやら少ないのやらはわかりませんが、昨日、黄瀬川で人が話してゐるのを聞けば源氏の御勢二十万騎とか言ってました。」と答へた。忠清はこれを聞いて、「あはれ、大将軍がこれまでのんびりしてをられたことが何とも悔しいことだ。一日でも早く先手を打ってゐたならば、そして足柄の山うち越えて八カ国へ出陣してゐたならば、畠山一族、大庭兄弟などはどうして馳せ参じないことがあったらう。これらの援軍があれば、坂東にはなびかぬ草木もなかったであらうに」と後悔したけれどもその甲斐はなかった。

Stockholm へ行った