平家物語 巻第四 「源氏揃 3」

2022-08-25 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 28 日>(仏滅 庚戌 八白土星) Lovisa Louise 第 34 週 第 26861 日

 

源三位入道頼政はさらに言葉を続けて、全国に散じてゐる源氏の残党の状況について、以仁王に申し上げるのであった。

「まづ京都には、出羽前司光信の子たち、伊賀守光基、出羽判官光長、出羽蔵人光重、出羽冠者光能、

熊野には、故六条判官為義の末子十郎義盛が隠れ住んでゐます。

摂津國には、多田蔵人行綱がをりますけれども、この男は新大納言成親卿の謀反の時に、一度は引き受けながら寝返った不当人ですから論外として外します。それでもその弟多田二郎知實、手嶋の冠者高頼、太田太郎頼基がをります。

河内國には、武蔵權守入道義基、子息石河判官代義兼、

大和國には、宇野七郎親治の子たち、太郎有治、二郎清治、三郎成治、四郎義治、

近江國には、山本、柏木、錦古里、

美濃尾張には、山田次郎重弘、河邊太郎重直、泉太郎重滿、浦野四郎重遠、安食次郎重頼、その子太郎重資、木太三郎重長、開田判官代重國、矢嶋先生重高、その子太郎重行、

甲斐國には、逸見冠者義清、その子太郎清光、武田太郎信義、加賀見二郎遠光、同じく小次郎長清、一条次郎忠頼、板垣三郎兼信、逸見兵衛有義、武田五郎信光、安田三郎義定、

信濃國には、大内太郎惟義、岡田冠者親義、平賀冠者盛義、その子四郎義信、帯刀先生義賢の次男木曾冠者義仲、

伊豆國には、流人前右兵衛佐頼朝、

常陸國には、信太三郎先生義憲、佐竹冠者昌義、その子太郎忠義、同じく三郎義宗、四郎高義、五郎義季、

陸奥國には、故左馬頭義朝の末子九郎冠者義經、

これらは皆六孫王(清和天皇第六皇子貞純親王の子の源経基)の苗裔で、多田新發滿仲の後胤です。朝敵をもたいらげ、立身出世の宿望を遂げたことは、源平いづれに勝劣があったわけでもありません。それなのに、今は雲泥の差となり、主従の礼にも劣るありさまです。國にあっては國司に従ひ、荘園にあっては預所で召使はれ、公事やその他の私事でこき使はれて、平安な気持ちもありません。彼らはどんなにか残念な毎日を過ごしてをることでせう。あなた様が思し召し立たせ給ひて、令旨を出してくださったなら、彼らは夜を日についで馳上り、平家を滅ぼすのに多くの日数がかかることでもありません。私も年こそ寄ってをりますが、子たちを引き連れて参る覚悟です。」と言ふのであった。

背中に陽の光を浴びるとほんのりと暖かくて良い感じがする。