2023-01-26 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 5 日>(大安 甲申 三碧木星) Bodil Boel 第 4 週 第 27015 日
大関・小関といふ路があった。大関は逢坂を経て京都に通じる路(逢坂は京阪京津線の大谷駅のあたりかも)、小関は山城国宇治郡四宮(京阪京津線の京阪山科の隣に四宮といふ駅がある)に通じる路である。当時はこれらの道が整備されてなかったといふことなのか、高倉の宮がお入りになってからは、堀を切って棘のある枝を立てたり、堀に橋を渡す手間をかけながら進んだものだから、時刻がおし移って、逢坂の関の鶏が鳴き出してしまった。伊豆守は「ここで鶏が鳴いたのでは、六波羅を攻めるのは白昼になってしまふぞ。どうしたものか。」と言ふ。そこで圓満院大輔源覚がまたさっきの様に進み出て言った。「昔秦の昭王のとき、孟甞君は呼び寄せられ監禁されてしまった。それでも昭王のお気に入りの夫人に取り入って助けてもらひ、つはもの三千人をひきぐして逃げて函谷関まで来た。そこは朝の一番鶏が鳴かぬうちは関の戸が開かれない。追手はすぐにもやって来るであらう。孟甞君の三千の食客の中に、てんかつといふ名前のものがゐた。誰もが「エッ」と驚くほど鶏の鳴き真似がうまかったので、鶏鳴とも呼ばれた。かの鶏鳴が高いところへ走り上がって鶏のなく真似をした。すると、関路の鶏は聞き伝へて皆鳴いた。その時、関守は鳥のそらねにばかされて、関の戸を開けて通してしまったといふ話がある。ここで今、鶏が鳴くのも敵の計略で鳴かされてゐるのであらう。ただ寄せよ。」こんな風にして時が流れるうちに、五月の短夜はほのぼのと明けはじめた。伊豆守は「夜討ちであれば勝算もあったけれども、昼いくさでは勝ち目はないぞ。みんなを呼び返せ。」と言って、搦手の軍勢は如意が峯より呼び返された。また、大手の軍勢は松坂よりとって返した。若大衆どもは「一如房の阿闍梨がなが僉議をしたから夜が明けてしまったのだ。押し寄せてあの坊を斬ってしまへ。」と言って一如房の阿闍梨に向かって斬りはじめた。これを防がうとした弟子、同宿数十人が打たれた。一如房の阿闍梨は命からがら、はうはうの体で六波羅に参って、老眼より涙を流しながらこのことを訴へ申し上げたけれども、その時既に六波羅には軍兵数万騎馳せ集まって準備が整ってゐたので、あまり人々を騒がせることにもならなかった。