平家物語 巻第五 「富士川 3」

2024-03-07 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 27 日>(先負 庚午 四緑木星) Camilla    第 10 週 第 27421 日

 

朝敵をたいらげるために将軍が遠くの地へ向かふ時には、将軍はまづ宮廷に参内して天皇から節刀を賜ることが、昔からのしきたりであった。それで大将軍の維盛と副将軍の忠度は皇居の紫宸殿に出御し、近衛の官人がそのきざはしの前に整列し、内弁(承明門内で儀式を司る大臣)や外弁(承明門外で儀式を司る大臣)の公卿も参列して中儀の節会が行はれた。公式の壮行会である。大将軍と副将軍はおのおの礼儀を正しくして節刀を賜った。いや賜ったのは正確には節刀ではなくて駅鈴(律令制で駅使に国家が給付した鈴)であった。過去には朝廷は承平天慶の乱(930年代)を平定させることもあったが、もう随分と昔のことであり、その時にはどの様なやり方で節刀の下賜があったかわからなくなってゐた。それで、割と最近の例として、讃岐守正盛が源義親を追討するために出雲国へ下向することがあった(1108年)が、その時の式次第を参考にして駅鈴を下賜することになったのである。鈴は皮の袋に入れて雑色の首にかけてくだされた。その昔、朝敵を滅ぼすために都を出る将軍には三つの覚悟があった。すなはち節刀を賜る日家を忘れ、家を出るとき妻子を忘れ、戦場で敵に戦ふとき身を忘る。今の平氏の大将維盛・忠度も、定めてこの様なことを覚悟されたであらう。ああ、なんといふつらいことだらう。

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