平家物語 巻第五 「富士川 2」

2024-03-06 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 26 日>(友引 己巳 三碧木星) Ebba Ebbe    第 10 週 第 27420 日

 

その頃、薩摩守忠度は、ある皇女の娘である女房のもとによく行き来された。ある時、その女房を尋ねると先客があった。その先客といふのは身分の高い女房で、いつまでも駄弁ってをられる。小夜もはるかに更けて、それでもまだ帰らうとなさらない。しかたがないから忠度は軒端でぶらぶらと時間を過ごしたが、そのうちバタバタと扇をあらく煽ってみた。女房は「野もせにすだく虫の音よ」とやさしい声で口ずさまれた。すると忠度は直ちに扇を使ふのをやめて帰ってしまった。何日か後にまた尋ねてきたとき、女房は「先日はどうして扇を使ふのをやめてしまはれたのですか」と聞いた。忠度は「さあ、あれはかしましいぞと文句を言はれたものと思ったので、扇を使ふのをやめたのですよ」と答へた。引用のもとの歌は新撰朗詠集にあり「かしがまし野もせにすだく虫の音やわれだに物をいはでこそ思へ」といふもので、女房としては「われだに物をいはでこそ思へ」といふところを伝へたかったのだが、忠度の方は上の句の「かしがまし」に注目して、苦言を呈せられたものととったのである。こんな小さな誤解もふたりの互ひの情愛を深めたかしれない。そんなことがあってから、かの女房は忠度のもとへ小袖をひとかさね贈った。それにつけられた一首の歌は

あづま路の草葉をわけん袖よりもたえぬたもとの露ぞこぼるる

薩摩守忠度は返事を書いた。

わかれ路をなにかなげかんこえて行く関もむかしの跡とおもへば

「関も昔の跡」と詠んだのは、かつて平貞盛が将門追討のために東国へ下向したことを思って詠まれたのであらうか。やさしい心が伝はって来る様だ。

良いお天気の一日であった