平家物語「一行阿闍梨之沙汰1」

2020-10-18 (日)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 2 日> (仏滅 甲午 九紫火星) Lukas   第 42 週 第 26182 日

 

比叡山の老僧たちは誠心を尽くして神仏に祈った。「いったい我らは粟津に行って貫首をうばひ返し申し上げるべきではないか。但し、追ったての鬱使・令送使がゐるからさうやすやすとことは運ぶまい。山王権現のお力にお頼み申すほかはない。もし重大な支障なく取り返し申し上げられるのなら、山王権現よ、ここでまづ何かの瑞相をお示しください。」すると鶴丸といふ十八になる青年が、心身を苦しめ五体に汗を流して、狂った様に躍り出た。この男は東塔の谷にある無動寺の法師乗圓律師が召し使ってゐる若者である。「我に十禅寺権現が乗り移られた。いかに今は末代であると言っても、どうして我が山の貫首を他國へお移し申し上げて良いことがあろうか。何度生まれ変はってもどんな世になっても辛いことである。そんなことでは自分がこの山の麓に神として姿を現しても何になるだろう。」と言って、左右の袖を顔に押し当てて涙をハラハラと流した。大衆はこれを見とがめて、「それが本当に十禅寺権現のご託宣であるといふなら、何かしるしをみせてもらはうではないか。少しも間違へずにもとの持ち主に返してみせなさい」と言って、四、五百人居た老僧たちが手に手に持った数珠を十禅寺の大床の上に投げ上げた。するとこのもの狂ひは走り回ってその数珠を拾ひ集め、ひとつ残らず間違へることなくもとの持ち主に返したのだった。大衆は神明の霊験あらたなることの尊さにうたれて、みな掌を合はせて随喜の涙を催した。「さうならば行き向かって奪ひとどめ申し上げねばなるまい」といって、雲霞の如き騒ぎとなった。滋賀唐崎の浜路に歩み続ける大衆があるかと思へば、山田矢ばせの湖上に舟を出す衆徒もあった。これを見て、あれほど厳重であった追ったての鬱使・令送使も四方へ皆逃げ去った。

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どんよりと曇った秋の午後は寒く感じた。