平家物語 巻第四 「三井寺炎上 1」

2023-06-30 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 5 月 13 日>(大安 己未 五黄土星) Elof Leif   第 26 週 第 27170 日

 

(しばらく日本に行ってゐたこともあり、平家物語を手で写し取る作業が中断してしまって、スウェーデンに戻ってもなかなか再開できない。せっかく始めたことなので、ペースが落ちたとしても続けられるだけ続けたい。前回の続きは「三井寺炎上」からになる。)

日頃よく騒ぐのは、比叡山の大衆の方であるのだが、今回は彼らは静かであった。「南都の興福寺三井寺とは、高倉の宮をかくまったり、お迎へに参ったりした。これは朝敵である。であれば三井寺も南都も攻めなければならない」といふことになって、治承4年(1180年)5月27日、清盛の四男頭中将重衡を大将軍とし、薩摩守忠度を副将軍として、総勢一万餘騎で、園城寺を攻めた。寺の方でも堀を掘ったり、たてを並べて垣根のようにしたり、棘のある枝を立てたり、応戦の準備をした。戦闘は午前6時頃から始まった。その日は一日中双方が戦ったが、三井寺側の僧は300餘人まで討たれた。夜に入ると、暗さは暗いし、官軍は寺に攻め入って火を放った。たくさんの堂宇が焼けた。本覚院、常喜院・真如院・花園院、普賢堂・大寶院・清瀧院、教待和尚本坊ならびに本尊等、八間四面の大講堂、鐘楼・経蔵・灌頂堂、護法善神の社壇、新熊野の御寶殿、すべて堂舎塔廟637宇、大津の在家1853宇、智證のわたしたまへる一切経7000餘巻、仏像2000餘体、たちまちに煙になってしまったことはかなしいことである。天の諸神がかなでる美しい音楽もこの時途絶へ、龍神が受ける三種の苦しみ(熱風に焼かれる・悪風に衣冠が散る・金翅鳥に眷属が取られる)もいよいよ盛んになるように思はれるのだった。

今日はいっとき雨が降った