バルト海

2024-05-02 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 3 月 24 日>(友引 丙寅 六白金星) Filip Filippa    第 18 週 第 27473 日

 

日本の地図帳を見ると、「バルト海」と書かれてあるから、僕も「バルト海」と書くけれども、スウェーデンの地図帳には ”Östersjön” と書かれてある。「東の海」といふ意味だと思ふ。確かにスウェーデンから見て東にある。痩せた女性が左を向いて前に手を差し出した様な形をしてゐる。顔の前面がフィンランド、後ろの髪に当たる部分がスウェーデンである。この両岸に挟まれた湾はボスニア湾と呼ばれ、頭のてっぺん近くに Luleå (ルレオ)がある。また、差し出した手の上面に Helsingfors(ヘルシンキ)、下面に Tallinn (タリン)がある。その一帯はフィンランド湾と呼ばれ、手の先端にはロシアの大都市サンクト・ペテルブルグがある。日露戦争の時、日本海軍は対馬沖で、はるばる遠征してきたロシアのバルチック艦隊を迎へ撃った(日本海海戦 1905年5月)が、そのバルチック艦隊の名前はこのバルト海にちなんでゐる。この海域は昔からロシアが我が物顔に出没した区域であるが、最近の国際緊張の高まりにより、周囲の国々はますます警戒を強めてゐる。バルト海に浮かぶ Gotland は戦略上重要な地であるので、スウェーデンの軍事設備もここに集められてゐると聞く。スウェーデンの人は海と湖とをあまり区別しない様に思はれる。海は hav で湖は sjö であると理解してゐるが、バルト海を表すのに sjö が用いられてゐる。実際、湖のように静かな海ではある。岸辺に立っても、波が寄せたり返したりといふことがない。バルト海はイギリスとノルウェーとの間にある北海につながってはゐるものの、デンマークのあるユトランド半島付近は海峡の幅も狭く、十分な水量がバルト海と北海との間を行き来する様には思はれない。それで、バルト海は海であるけれども sjö が使はれるのだと思ふ。このバルト海を地図で眺めると、それに比較して日本海は良いなと思ふ。日本海も狭い海峡(対馬海峡津軽海峡宗谷海峡間宮海峡)で閉ざされた様になってゐるが、南から黒潮が北上し、それが分かれて対馬暖流となって日本海に流れ込み、日本の気候を穏やかにしてくれるからである(蒲生俊敬著「日本海」にその様なことが書いてあったと思ふ)。海は、時として津波などの災害をもたらすが、それは何も人間を虐めようとしてゐるわけではない。海の恵みといふものを改めて思ひたい。

我が町の桜並木。昔、誰が植えたのであらうか。