平家物語 巻第四 「山門牒状(さんもんへのてうじやう)」

2023-01-04 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 12 月 13 日>(赤口 壬戌 二黒土星) Punktskriftensdag Rut 第 1 週 第 26993 日

 

三井寺では貝の鐘を鳴らし、たくさんの僧たちが集まって会議をした。話し合った内容は次の様なものであった。「最近の世間の様子を眺めてみると、仏法は衰へ、王法は限られて伸びない状況となってゐる。今、清盛入道の暴悪を戒めなければ、いつできるだらう。今をおいて他にないではないか。高倉の宮がここにお入りになったことは、正八幡宮の衛護、新羅大明神(三井寺鎮守神素戔嗚尊)の冥助ではなからうか。天地の神の眷属も姿を現し、仏力神力も怨敵降伏にきっと力を貸してくださることであらう。そもそも北嶺(比叡山)は天台宗の学問をするところである。南都(奈良)は一夏九十日間修行して僧侶の資格を得る戒壇の場所である。当寺から牒状を送ればどちらもきっと味方してくれることであらう。」この様に結論を出して、南都と北嶺にお手紙を書いたのだが、このうち、比叡山にあてて書いた手紙は次の様であった。

 

園城寺から延暦寺の寺務所にお手紙を差し上げます。

ことに力を合はせてくださって、当寺の破滅を助けていただきたい件

右、入道浄海(平清盛)は自分勝手な行ひで、王法を失ひ、仏法をほろぼさうとしてゐます。その嘆きの極まりないところに、去る十五日の夜、一院第二の王子(高倉の宮)がひそかに入寺されました。ここに院宣法皇様の命令)と称して高倉の宮を引き渡せと要求があるのですが、お渡し申し上げることなどできません。それで清盛は官軍を派遣するといふ噂があります。当寺の破滅はまさにこの時に迫ってゐます。天下の人々はどうしてこれを愁ひ嘆かないことがあるでせう。なかんづく延暦・園城の両寺は門跡がふたつに分かれてをりますけれども、学ぶところはこれ天台宗の法門であり、もともと同じものです。例へて言へば鳥の左右の翼の様なものであり、あるいは車のふたつの輪の様なものであります。その一方が欠けた場合には大きな嘆きとなりませう。しかればここで特にご協力くださって、当寺の破滅を助けてくださるなら、早く年来の遺恨を忘れて、同じ山に住んでゐた昔の状態に復することにもなりませう。衆徒の話し合ひの結果はかくの如しです。よって牒奏くだんのごとし。

  治承四年五月十八日      大衆等

 

と書かれてあった。

 

Nyköping川にて