平家物語 巻第四 「若宮出家 2」

2023-04-15 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 25 日>(友引 癸卯 一白水星) Olivia Oliver  第 15 週 第 27094 日

 

この高倉の宮は、御子の宮たちを、方々に、たくさんもうけてをられた。その中でも八条女院(保延3(1137)年4月8日,鳥羽天皇と皇后藤原得子(美福門院)との間に生まれた暲子(しょうし)内親王。高倉の宮の叔母。八条院御所があった場所は今の京都駅あたりか)に仕へた三位の局(三位の局の父は伊豫守盛教)との間に、七歳の若宮と、五歳の姫宮があった。清盛の異母弟である池の中納言頼盛卿は、清盛の使ひとして八条院御所へやって来て、八条女院に申し上げた。「高倉の宮には、御子の宮たちがたくさんおありになる。姫宮については何も申し上げることはありません。若宮を早くこちらへお引き渡し願ひたい。」これに対して八条院は「宮がことを起こしたことが知れ渡った暁、めのとの人たちが無分別にお連れ申してどこへ行ってしまったのやら、ともかくもこの御所にはゐらっしゃいません。」とお返事された。頼盛卿はやむなく引き下がり、入道相国(清盛)に報告した。「ありえない。その御所でなくして、一体、どこに行くあてがあるものか。その儀ならば武士どもを連れて行って探して来い。」と清盛は言った。この中納言頼盛卿は、女院の御めのと子宰相殿といふ女房と夫婦になって、常に八条院御所に通ってゐて、八条女院も平素は慕はしく感じてゐらっしゃったのだが、この宮の御事を申しに参る様になってからは、別人の様に嫌気がさしてしまはれた。

午後の散歩で