平家物語 巻第四 「還御 4」

2022-08-08 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 11 日>(大安 癸巳 七赤金星) Silvia Sylvia Drottnings namnsdag 第 32 週 第 26850 日

 

治承4年(1180年)4月5日、高倉上皇は御船に乗って、備前国・小嶋の泊(岡山県児島郡)からさらに京を目指された。この日は天晴れ、風は静かで、海上ものどかであった。上皇の御船をはじめ、人々の舟もみな漕ぎ出して、雲の波煙の浪を分け進み、その日の夕方6時頃に播磨国やまとの浦(兵庫県明石郡山田の浦と注記にあり。今の明石市から神戸市垂水区のあたりか)にお着きになった。そこからは御輿に乗って福原へお入りになった(福原は清盛の別荘がある場所で、今の神戸市兵庫区のあたりか)。翌日6日は、お供の人たちはみな、一日も早く都へ帰りたいと急ぐところであったが、高倉上皇は御逗留なさって、福原のところどころを見て回られた。池の中納言頼盛卿の別荘や新しく開墾された田までご覧になった。その翌日7日はいよいよ福原を出発することになった。が、その機会に、勅定があり、隆季の大納言が承って、入道相国の家の新人事が発表になった。入道の養子・丹波守清邦、正下の五位、同じく入道の孫・越前少将資盛、四位の従上とのことであった。その日は寺井まで行かれた(注記には寺江ではないか、大阪市西淀川区神崎川の河口ではないかとあり)。その翌日8日は京にお入りになった。そのご一行をお迎へするために、公卿・殿上人らは鳥羽の草津まで出迎へた。還御の時は鳥羽殿へ寄らずに、入道相国の西八条のお屋敷にお入りになった。

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