平家物語 巻第四 「厳島御幸 6」

2022-07-25 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 27 日>(友引 己卯 三碧木星) Jakob 第 30 週 第 26836 日

 

高倉上皇は鳥羽殿の門前に着くとお車からお降りになった。門の内にお進みになると、人影はなく、あたりはこんもりとした木に覆はれて暗い。もの寂しいお住まひであることがわかって、まづそのことをあはれにお思ひになった。春はもう暮れようとして、夏木立の季節になりつつある。梢の花の色は衰へて、宮に鳴く鶯の声も老いて聞こえるのであった。

去年の1月6日(岩波古典文学体系の注記には治承2年1月4日の御幸を指すのであらうと書かれてある。巻第三の赦文のところにその日御幸があったことが書かれてある)、朝覲(年初に天皇上皇の御所にご挨拶に行かれる行事)のために、当時の後白河法皇のお住まゐであった法住寺殿へ行幸された時には、楽屋で舞楽の初めに一斉に諸楽器が演奏されて、諸公卿は列に立ち、衛士たちは詰所に並び、院の御所付きの公卿たちはその行列を迎へて幔幕を張った門を開いた。掃部寮(宮中の掃除などを司る役所)は庭の上に長いむしろを敷き、、といった華々しいご様子であったのだが、今回のお忍びの様な行幸では、由緒ある儀式は全くなかった。後白河法皇は今日のこの高倉上皇のご訪問が夢ではないかとばかり思って待ちわびてゐらっしゃったのである。

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