平家物語 巻第四 「厳島御幸 7」

2022-07-26 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 28 日>(先負 庚辰 二黒土星) Jesper Jasmine 第 30 週 第 26837 日

 

どうやら上皇がお見えになったご様子ですと、成範の中納言がそれとなくお知らせ申し上げると、後白河法皇寝殿の橋がくしの間にお移りになった。橋がくしの間といふのは、寝殿の中央正面の数段の階段になった所の奥にある間のことで、今風にいへば玄関まで上皇をお迎へに出られて、そこでお待ちになったのである。高倉上皇は今年二十歳であられる。明け方の月の光に映えて、そのお体もことのほかお美しくゐらっしゃった。御母儀の建春門院にとてもよく似ておいでであったので、法皇はまづ亡くなられた女院のことを思って、溢れるお涙をお止めになることができなかった。法皇上皇とは近くお座りになった。他の人からの御問答は一切なしで、御前には尼前だけが座られた。さうしてやや長い時間、お話などなさった。日も盛りをすぎたころお暇を申し上げ、鳥羽の草津より御舟にめされることになった(鴨川を下って桂川と合流し、その先で宇治川とも合流して、水無瀬のあたりから淀川となって、大阪湾に出るコースになるのかなと思ふ)。上皇は、法皇の今のお住まひが古く寂しいところであることが心配で、心苦しくお思ひになった。また法皇の方では、上皇のこれからの旅泊が浪の上となることを思ひ、舟の中のおありさまは大丈夫だらうかとご心配なさるのであった。まことに伊勢神宮石清水八幡宮賀茂神社をさしをいて、はるばると安芸国まで御幸になることを、神明はどうしてお受け止めにならないことがあるだらうか。御願成就うたがひなしと思はれることである。

晴れ間から雲が広がり、小粒の雨かなと思ふとたちまち土砂降りに変はったり、また腫れたり、と言ふお天気の一日であった。