平家物語 巻第四 「厳島御幸 4」

2022-07-22 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 24 日>(大安 丙子 六白金星) Magdalena Madeleine 第 29 週 第 26833 日

 

その年(治承4年(1180年))も3月上旬になると、高倉上皇安芸国厳島へ御幸なさるらしいと噂が立った。古来、帝王が位を譲られて諸社へ御幸なさるには、まづ八幡・賀茂・春日などへ御出でになるのが普通であるのに、わざわざ遠い安芸国まで御幸になるとはどうしたことだらうと人々は不審に思った。ある人はこんなことを言った。「白河院は熊野へ御幸された。後白河院日吉社へ御幸された。してみるとご参詣は先例によるのではなく君の御心から出てゐるものであらう。高倉上皇のご心中に深いご立願がおありなのであらう。この厳島を平家は特別に崇め敬ってゐることを配慮して、表向きには平家にご同心を示し、内心では、後白河法皇がいつまで鳥羽殿にをしこめられることになるやら分からないので、入道相国の謀反の心を和らげてくださいといふご祈念のために行かれるのではないか」また山門の大衆は憤って言ふのである。「もし、岩清水・賀茂・春日以外の社に行かれるのであれば、まづもって我が山、比叡山の山王へこそお参りくださらなければなるまい。安芸国までご参詣あそばすとはいつからの先例なのか。さういふ次第であるならば、神輿を振り下し奉って、実力で御幸を阻止申し上げようではないか」と詮議するのであった。そんな動きもあったものだから御幸はしばらく延引となった。太政入道(清盛)が間に入ってやうやうになだめたので、やうやくのことで山門の大衆は静まった。

今日も家で静かな一日を過ごした。