平家物語の中の涙

2022-01-19 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 12 月 17 日>(仏滅 壬申 九紫火星) Henrik Henry 第 3 週 第 26649 日

 

平家物語を読んで、現代とは随分違ふなあと思ふことのひとつは、登場人物がすぐに泣くことである。それもメソメソと泣くといふよりは大声で泣く。平清盛などは我が娘が高倉天皇の皇子を無事に出産したことを知ると、「入道相国あまりのうれしさに、声をあげてぞ泣かれける」といった具合である。現代人は「男は簡単に泣くもんぢゃない」と思ってゐる人も多いと思ふが、平安時代には男だって泣いたのだ。いや、それだけ感情の高ぶりを、押さへ込まずに素直に面に出したのだと思ふ。ある意味では羨ましいと思ふ。誰も泣かない社会があるとすれば、それはどこかをかしいのではないか。東大に入りたいと言って通りがかりの人に切りつけた者や、電車の中でいきなり刃物を振りかざした者たちは、果たして「泣く」といふ行為を知ってゐるのだろうか。さういふ僕自身もあまり泣かないが、泣いた記憶をたどれば、長年務めた日本の会社に辞表を提出した時にはひとり泣いた。その後転職したスウェーデンの会社を定年退職した時には泣かなかった。映画などを見ても涙腺が緩むことはあるが泣いてゐることを知られたくない気持ちがある。最近は「涙活(るいかつ)」といふ言葉もある。意識的に泣くことでストレス解消を図る活動をいふのださうである。泣くことでリラックスした状態に移る効果があるらしい。平安時代には男も女もみんな泣いた。その遺伝子は現代の私たち日本人の誰にも引き継がれてゐるのかもしれない。

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