平家物語 巻第四 「大衆揃 3」

2023-01-27 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 6 日>(赤口 乙酉 四緑木星) Göte Göta 第 4 週 第 27016 日

 

治承4年(1180年)5月23日の暁、高倉の宮は「三井寺の僧徒だけでは持ちこたへられないであらう。山門(比叡山)は頼りにならないし、南都(興福寺)の援軍はまだ到着しない。後日になってはまづからう。」と言って、三井寺を出て、南都へ向かはれた。この宮は「蝉折れ」「小枝」といふ名の漢竹の笛をふたつお持ちになってゐた。その「蝉折れ」といふのは昔鳥羽院の御時、こがねを千両宋朝の帝へ貢いだことがあって、その返礼の意味らしく、まるで生きてゐる蝉の様な形の節のついた笛用の竹を一節贈ってこられた。「いかにこれほどの重宝をさう簡単に彫刻してはいけないであらう。」と言って、三井寺の大進僧正覚宗に仰せて、祭壇の上に立てて七日加持祈祷してから彫刻させた御笛である。ある時、高松の中納言實衡卿が参って、この御笛を吹いたのは良かったのだが、うっかり普通の笛であると思って、膝より下に置いてしまった。笛はこのことを「無礼ではないか」と言って咎めたのであらうか、その時、蝉が折れてしまった。それでこの笛は「蝉折れ」と名付けられたのである。高倉の宮は笛の名手であられたので、この御笛を引き継いでゐらっしゃったけれども、今を限りとお思ひになったのであらうか、園城寺本堂の弥勒菩薩像にご奉納あそばした。弥勒菩薩は五十六億七千万年の後に地上に生まれて龍華の樹の下で成道すると伝へられてゐるが、弥勒菩薩がこの世に出現した時のためであらうかと思はれて、あはれなりしことどもであった。

よく晴れた日であった。