平家物語 巻第五 「都遷 1」

2023-08-10 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 6 月 24 日>(大安 庚子 九紫火星) Lars    第 32 週 第 27211 日

 

(コロナが流行った時、家に居ることが多くなって、写経の代はりに平家物語を写すことを思ひついたのだが、このところしばらく中断した。コロナはおさまってくれたが、その後もできるだけこの作業は続けたい気持ちがある。前回は7月1日に三井寺炎上まで写し終えたのだった。ここからは巻第五に入り、いよいよ福原遷都の話になる。章題の「都遷」は大和言葉で「みやこうつり」と読む)

 

治承4年(1180年)6月3日にいよいよ帝が福原へお移りになるらしいよと京中はその話でもちきりになった。前から都うつりがあるとは噂されてゐたのだが、誰もそんなに急な、今日明日のこととは思ってゐなかったので、これはどうしたことだと、上も下も大騒ぎとなった。しかも、はじめは3日の予定と発表されたのに、いま1日繰り上げられて、2日にはもう移られることになった。2日の午前6時頃に、既に行幸の御輿が皇居に回された。安徳天皇は今年3歳で、まだいとけなくゐらっしゃるので、なに心もなしに御輿にお乗りになった。天皇がまだ幼い時には、母后がご一緒なさることが普通であるのだが、今回は様子が違った。御乳母、平大納言時忠卿の北の方である帥の典侍殿がご同乗なさることになった。中宮建礼門院(清盛の娘で高倉上皇中宮)25歳)、一院(後白河法皇 53歳)、高倉上皇(19歳)の御幸が続く。摂政殿(藤原基通)をはじめとして、太政大臣以下の公卿・殿上人、我も我もと後に続いた。3日に福原へお入りになった。池の中納言頼盛卿の山荘が臨時の皇居になった。自邸を皇居に献上した功によって、頼盛は4日に正二位に昇進した。九条殿(藤原兼実)の御子である右大将良通卿より高い身分となってしまった。摂政関白の家柄の御子息が凡人の次男に加階超えられてしまふことはこれがはじめてとのことである。

スウェーデンでは梅雨の様な天気。雨のやむ間の公園で。