平家物語 巻第四 「厳島御幸 5」

2022-07-23 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 25 日>(赤口 丁丑 五黄土星大暑 Emma Emmy 第 29 週 第 26834 日

 

治承4年(1180年)3月18日、厳島への御幸の御門出として、高倉上皇は入道相国の西八条の亭へお入りになった(清盛は福原にゐるのだと思ふ)。その日の暮れ方に、前右大将宗盛卿を召して「旅行に出たついでのことだから、明日鳥羽殿に寄って、法皇にお目にかかりたいと思ふのだがどんなものだらうか。清盛殿に知らせずにそんなことをしては差し障りがあるだらうか」とご相談なさった。すると宗盛卿は涙をハラハラと流して「何の差し支へがございませうか」と申し上げた。「それなら宗盛、その次第を今夜すぐさま鳥羽殿へ通知してくれ」と言ふことになって、前右大将宗盛卿はいそぎ鳥羽殿へ参って、このことを法皇様に申し上げた。法皇様は絶えず思ひ続けておいでだったことが急に実現しさうになったので「夢ぢゃないだらうか」と仰せになるのであった。

翌日3月19日になった。まだ深夜のうちから行動開始である(時計もないのに、だいたいの感じで出発時刻を決めるのかなと思ふ)。大宮大納言隆季卿が旅行の出発を御催促申し上げた。この間から申し出てゐらっしゃった厳島の御幸を、西八条にお寄りになって、いよいよご決行あそばすことになったわけである。やよひも半ばを過ぎたけれども、霞にくもる有明の月は猶おぼろである。越路をさしてかへる雁の、雲井におとづれ行く声を聞くにつけても、折が折であるだけによけい感慨深くお聞きになるのであった。まだ夜も明けないうちに鳥羽殿へお着きになった。

我が家の庭に咲くバラ。誰が植えたのだらう。記憶にございません。