平家物語 巻第四 「厳島御幸 1」

2022-07-18 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 20 日>(先勝 壬申 一白水星)海の日 Fredrik Fritz 第 29 週 第 26829 日

 

治承4年(1180年) 1月1日、鳥羽殿に幽閉された法皇様のところへ人が参賀に行くことを清盛は禁じた。法皇様の方でも遠慮なさってゐらっしゃるので、正月三ヶ日の間は訪れる人もなかった。けれども、故少納言入道信西の子息、櫻町の中納言茂範卿とその弟、左京大夫脩範だけは許されて参上した。1月20日には東宮が3歳で初めて袴をつける儀式、および誕生後初めて魚肉を食べさせる祝ひの儀式があったけれども、法皇様は鳥羽殿でよそ事としてお聞きになるばかりであった。

2月21日、高倉天皇は別にご病気でもゐらっしゃらないのを、無理に3歳の安徳天皇に位をお譲りになった。これは清盛が計画したことである。平家の者たちは時勢が良くなったと言って大騒ぎであった。神鏡八咫の鏡、神璽、宝剣の三種の神器をお渡しになる。上達部は陣に集まって、古いことどもを先例にしたがって行った。弁内侍が神剣草薙剣を新帝に渡すために持って出ると、それを清涼殿の西面で泰通の中将が受け取った。次に備中内侍が八尺瓊勾玉の入った箱を持って出ると隆房の少将が受け取った。八咫の鏡の入った箱については、天皇のお世話をさせていただくのも今宵限りにならうかと名残を惜しむ内侍の心のうちが推し量られて、さぞ悲しいだらうと思はれてあはれも多かったのだが、その少納言の内侍がお箱を取り出さうとした時、「今夜三種の神器に手を触れると今後永久に新帝の内侍になれない」と言ひ出すものがあって、それを聞いた途端怯んでしまって、その場になって辞退して神器を持って出なかった。少納言の内侍はもう歳をとってゐるのである。もう一度花の盛りを期待するやうな歳でもないだらうとみなが批判した。すると備中の内侍と言って生年16歳になるまだいとけなき少女が「私にやらせてください」と言ってお箱を持って出たのだった。けなげで感心なことであった。

Nyköping 川にかかる橋