平家物語「公卿揃 1」

2021-10-09 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 9 月 4 日> (赤口 庚寅 四緑木星) Ingrid Inger 第 40 週 第 26537 日

 

お生まれになった皇子にお乳を差し上げるのは、前右大将宗盛卿の北の方と決まってゐたのだが、去る七月に難産でお亡くなりになってしまった。それで、御めのと平大納言時忠卿の北の方が、授乳のために来られた。のちに師の典侍(そつのすけ)と呼ばれることになるお方である。法皇はまもなくお帰りになった。御車を門前に呼ばれた。清盛は嬉しさのあまりに、砂金一千両、富士の綿二千両を法皇へ進上した。人々は内々で、そんなことをしてはいけないのではないかとささやきあった。

今度の御産の儀式にあたっては人の耳目をひくようなことがたくさんあった。まづは法皇がみづから祈祷者になられたことである。次に、后が御産された時、御殿の棟よりこしきといふ、素焼製の飯をむす道具を転がり落とす風習があった。皇子ご誕生の時には南へ落とし、皇女誕生の時は北へ落とすしきたりであったのだが、この時に北へ落としてしまった。「これはどうしたことだ」と人々が騒いで、拾ってもう一度落とし直しをしたけれども、人々は何かよくないことではないかと言ひあった。そのほか、おかしい様子に見えたのは清盛のあまりに途方にくれたこと。めでたく見えたのは重盛の振舞ひが鷹揚であったこと。残念だったことは右大将宗盛卿の最愛の北の方に遅れて参上した大納言と大将、このために二人は職を辞して籠居されたことである。もしご兄弟が揃って出仕されてゐたらどんなにめでたかったことであろう。さらにこんなこともあった。七人の陰陽師が召されて大祓の祝詞を千遍唱へるように言はれて出仕したのだが、その中に掃部頭時晴といふ老人があった。お供なども少ししか連れてゐない。その場にはあまりにもたくさんの人が集まって前に進むこともできないほど混み合ってゐた。「役人ですよ、場所をあけなさい」と群衆を押し分けるように進んだのであるが、右の足を踏みつけられてしまった。立ち止まってちょっとまごつくうちに冠まで落とされてしまった。このように公式の場面で、公事に着る礼服である束帯までを身につけた老人が、冠を落とされてもとどりも露はになって静かに歩き出て来たものだから、気の毒やら滑稽やらで、若い公卿、殿上人はこらへきれずに、一同ワアーッと笑ひあってしまった。そもそも陰陽師などといふ人たちは、反陪(へんばい)と言ふ、作法に従った歩き方をするもので、足を踏み外したりしないものと聞いてゐるのに、このような不思議なことが起こるものである。このように色々なことがあったが、その時は別になんとも思はなかったことでも、あとで考へると、色々と思ひ合はされることがたくさんあったことである。

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これは昨日の夕暮れの写真