平家物語「大納言死去 4」

2021-05-02 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 21 日> (大安 庚戌 八白土星) Filip Filippa   第 17 週 第 26377 日

 

配所・備前国有木の別所で辛い毎日を送られた大納言・藤原成親であるが、安元3年(1177年)8月19日に、つゐに殺されることになった。場所は備前・備中両国の境、庭瀬の郷、吉備の中山といふところである。そのお最期の様子が色々な噂になって都にも伝はった。酒に毒を入れてお勧めしたのだが、その方法ではうまくいかなかった。6メートルほどの崖の下に、二股に分かれた鋭い刃物を立てて、上から突き落とされ、その刃物に貫かれて殺されておしまひになった。全く残酷な話であった。このような処刑の方法も少ないように思はれる。

大納言北の方は、大納言がもうこの世に亡き人とお聞きになると、「どのようにしてでも、もう一度、夫の無事な姿を見もし、また自分も見てもらひたいものと思ひ続けてきました。だからこそけふまで髪をおろさずにゐたのです。今となってはそんなことも虚しくなりました。」と言って、菩提樹院(左京区神楽岡の東にあったとされるお寺)で髪をおろし、決まったやり方のとおりに仏事をいとなみ、大納言の後世を弔ふ生活をなさるようになった。この北の方といふ人は山城守敦方の娘である。大変にお美しい人で、後白河法皇のご最愛ならびなき思ひ人であられたのだが、成親卿があまりに優れた寵臣であったことから、譲り受けられたと言はれてゐる。幼き人々も花を手折り、閼伽の水を結んでお父上の後世を弔はれる様子は哀れ深いものであった。このように時移り事去って、世の中の変はって行く有様は、天人が死ぬときに現すといふ五つの死相に変はらないものであった。(「時移り事去って」といふ表現は長恨歌の「時移り事去り、楽しみ尽き悲しみ来たる」を踏まえる)

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散歩道にも緑が増えた