平家物語 巻第四 「大衆揃 4」

2023-02-01 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 1 月 11 日>(大安 庚寅 九紫火星) Max Maximilian 第 5 週 第 27021 日

 

高倉の宮は三井寺を去って、南都へご出発になるのであるけれども、老僧どもには皆いとまを賜って、寺にお残しになった。しかるべき若大衆悪僧どもはついて行くことになった。源三位入道の一類ひき具して、その勢一千人ときこえた。乘圓房阿闍梨慶秀は鳩の形のついた杖(後漢書礼儀志によると70歳に達した老人はこれを授かると注記にあり)にすがって宮の前に参り、老眼より涙をハラハラと流して申し上げるのであった。「どこまでもお供仕るべきとは心得てをるのですが、なにぶん年が八十になって歩くことも困難です。代はりに私の弟子である刑部房俊秀を参らせます。これは、ひととせ平治の合戦の時、故左馬頭義朝の手勢の中にあって、六条河原で討死仕った相模国の住人、山内須藤刑部丞俊通の子でございます。少し縁故がございますので、跡懐で実子同然に育てました。心のそこまでよくよく知ったものでございます。どこまでもめし具せられください。」と言って、涙を抑へて三井寺にとどまった。宮もあはれに思し召して「いつの世の恩義でここまでも言ってくれるのであらう。」と言ってとめどなくお涙をお流しになるのであった。

昨日の病院の古い方の建物。