平家物語 巻第四 「三井寺炎上 2」

2023-07-01 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 5 月 14 日>(赤口 庚申 六白金星) Aron Mirjam   第 26 週 第 27171 日

 

そもそも三井寺は、近江の大友与多といふ人の私有のお寺であったのだが、天武天皇に寄進してその御願寺としたものであった。本仏も天武天皇のご本尊であった。生身の弥勒とまで言はれた教待和尚は160年の修行の末に、智証大師に譲られた。弥勒菩薩は都士多天上摩尼宝殿から天下り、はるかに龍華の下に生まれ変はる暁をお待ちになったとまで聞いてゐるのに、こんな焼き討ちにあってしまふとは一体どうしたことであらうか。智証大師はこの場所を伝法灌頂の霊跡として、井花水(いけすい、早朝に汲んだ水)の三(みつ)を結ばれたことによって、三井寺と名付けられたのであった。(三(みつ)は水の誤り、三井寺も寺名の起源は「御井寺」であると注記にあり)この様にめでたい聖蹟であるけれども、今はどうにもならなくて、顕密はまたたく間に滅び、伽藍は跡形もなく消えた。三密(密閉・密集・密接をいふのではなくて、手に印契を持し、口に真言を誦し、心に本尊を観じること)道場もなければ、鈴の声も聞こえない。一夏の花(夏安居のために仏に供へる花)もなければ、阿伽の音もしない。宿老蹟徳の高僧は、修行や学問を怠り、法を受け継ぐ弟子たちも、お経の教へから別れた。寺の長吏である円恵法親王天王寺別当を解任された。主だった僧綱13人は辞めさせられて、みな検非違使に預けられた。戦ひに直接参加した悪僧は筒井の浄妙明秀に至るまで、30餘人流された。「この様な天下の乱れ、国土の騒ぎはただ事とも思はれない。平家の世が末になってしまふ先表ではあるまいか」と人々は言ひあふのだった。

今日は Stockholm へ行った。風やや強し。