Look up and find respect

2024-03-01 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 21 日>(先負 甲子 七赤金星) Albin Elvira    第 9 週 第 27415 日

 

日本の3月は卒業シーズンである。卒業シーズンといへば「仰げば尊し」である。この歌は、僕にとっては、励まされる良い歌であるのだが、ある時期から批判されて歌はれなくなったと聞く。今はもう、普通の学校の卒業式で歌はれることはないのだらうか。ちょっとさみしい。人はどんな考へを持たうがその人の自由だから、批判するのも自由である。だが、その一方で、良いと思ふなら自由にそのことを述べても良いと思ふ。学校の先生だって生身の人間だから、長所も短所も持ち合はせてゐる。完全な人などどこにもゐない。そんなことは昔からずっと変はらずにあることだし、誰もがみんな知ってゐることだ。それを知った上で、自分の身の周りの人を「仰ぐ」といふことはやっぱり大事だと思ふ。人との信頼関係は「仰ぐ」行為の上に築かれるのではあるまいか。現代人はこの「仰ぐ」と云ふことをしなくなって、それが社会を貧しくしてゐる様に思はれてならない。喧嘩をしても根本的なところで人を尊敬する気持ちを失はなければみんな平和でゐられると思ふ。ところで実は、僕は高校時代の古文の授業で係り結びの法則を教はった時、ふとこの歌詞が頭に浮かんで、「今こそ別れめ」の意味の漠とした疑問が瞬時に氷解したことを覚えてゐる。「め」は意志の助動詞「む」の已然形であったのだ。別れと云ふものは、卒業式の日さへ来ればひとりでにやってくるものではない。私たち、自分たちの意志で、この別れを選び取っていかうねといふ意味であるとわかった時、それはもう背中に電気が走るほどの衝撃を受けた。さうか今ハッキリ意味がわかったぞと嬉しかった。高校生にもなるまでそんなことも知らなかったのは恥づかしいとも思った。ところで、現代の日本語では「こそ」は必ずしも已然形で結ばない。これはいつの時代からその様になったのだらうかと思ったことがある。意外にも鎌倉時代からあったのではないかと思ふ。承久の変で隠岐島に流された後鳥羽院の御製に「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」といふ歌がある。この歌が人口に膾炙して以来、「こそ」は係り結びの法則の縛りを受けない使ひ方が広まったのではなからうか。後鳥羽院は新しい日本語を切り拓くパイオニアでもあられたと思ふ。「仰げば尊し」から随分脱線してしまった。

気がつけば我が庭にも春のきざしが。