鎮魂の唯物論

2024-02-29 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 20 日>(友引 癸亥 六白金星) Skottdagen    第 9 週 第 27414 日

 

魂を鎮めたい時、といふと大袈裟だが、たとへば怒りを鎮めたい時などに、ふと、万物は原子でできてゐることに思ひを馳せるのも良いのではないかと思ふ。怒りも喜びも悲しみも、自分を構成するこの生命も、みんな原子に帰っていくことを思へば心が安らぐ気がする。19世紀までの人間は世界は3次元の絶対空間と1次元の絶対時間を別々の座標で考へた。20世紀になると、それは相互に切り離せない組合せであることがわかった。ブラックホールの様に巨大な重力があるところでは時間も止まってしまふと聞くが、時間が止まってしまへば、過去も未来もない。宇宙は膨張してゐるとも聞くが、時間のない世界には膨張も収縮もあるまい。仏教では「万物は流転する」とか、「諸行無常」とか言ふが、時が流れなければ「無常」も「因果応報」もあるまい。この世界に何かの意思があるわけではない。何かの目的があるわけでもない。ああ、何と心休まる世界であることよ。

風が強かった。