因果応報と諸行無常

金 旧暦 2月13日 友引 丙申 三碧木星 Edla Ada V10 24867 日目

因果応報と諸行無常との二大原則はいつも僕の心の中で非常に大事な部分を占めてゐる。と言ってもそのことに全幅の信頼を寄せなければ救ひはないのかもしれないが、その一方で、自分が信じようとすることはもしかすると間違ってゐるのではないかと疑ふ自分もゐる。この、信じることと疑ふこととのせめぎ合ひが、いつも僕を悩ませる。因果応報は「あらゆる事象には原因がある」といふ考へだし、諸行無常は「万物は流転する」といふ考へだ。いづれも時の流れを暗黙の前提としてゐる。ところが現代物理学の示すところでは、何が先に起きて何が後であるかは観測者によって変はりうるとか、決定論的な因果律では説明できない事象があることを主張する。それは僕らの日常生活感覚からはかけ離れた世界の説明なのだが、それでもさういふ世界が現実にあることは、僕が信じようとする二大原則はある範囲内でしか成り立たないのではないかと不安になる。これまでは原因だと思ってゐた要因が見方を変へれば実は結果だったといふことも、その逆も、あるかしれない。大げさに言へば、盤石である筈の哲学的信頼にヒビが入る様な不安が頭をもたげるのである。間違ってゐるのは現代物理学の方である可能性も完全には否定しきれないと心のどこかで思ってゐる。現代社会が抱へる不安の根源はそんなところからも来てゐるかしれない。