京都にて

火 旧暦 9月7日 先負 甲辰 八白土星 Helge V40 23974日目

昨夜、スウェーデンから来た友達と祇園を散歩した時、京都には「祇園まつり」もある様だがそもそも「祇園」とはどの様な意味かね、と質問を受けた。返事に詰まったが、言ひたかったことをまづ日本語でまとめてみると次の様になる。祇園と言ふ言葉は古い日本語には違ひないが、いはゆる大和言葉ではない。音韻もどこか外国語っぽい響きがある。それは仏教伝来と共に輸入された言葉であると思ふ。仏教は「万物は流転する」ことを真理としてゐる。今をときめく一流企業もやがては斜陽し、代はりに名も無い会社が興って来る。人の命もやがては死を迎へ、そしてまたいつか生命が与へられる。広大な宇宙に渦巻く銀河もこの流転の一過程に過ぎない。昔インドに祇園精舎と言ふ寺があり、その鐘楼から流れ出る鐘の音はこの「万物は流転する」もしくは「諸行無常」の真理をそのまま人に伝へる音色をしてゐたと言ふ、、、。その様な意味のことを英語で朴訥とやったつもりであるが、その人は途中から、「今度からはもう少し簡単な質問にするよ」と言ふことで仕舞ひになった。

せっかくの京都であるから今日はひとりで逍遙した。仁和寺龍安寺界隈は行ったことがなかったので四条からそのあたりまで嵐電で行った。嵐電京福電鉄が運営してゐるが、昔、僕の住む町にも走ってゐた電車と造りが非常に良く似てゐて懐かしい気がした。仁和寺は静かで良かった。龍安寺では外国人の団体客に会ったが、聞こえて来るガイドの声はスウェーデン語であったので非常に驚いた。思はずかけよって、「あなたたちはスウェーデンから来られたのですか」と聞いてみたい衝動にかられたが、邪魔をしてはいけないと思ってそっとその場を離れた。世の中は狭い。