小包が消えた話

2018-11-16 (金)(平成 30 年戊戌)<旧暦 10 月 9 日>(赤口 壬子 三碧木星) Vibeke Viveka  第46週 第 25482 日

 

前回、日本へ行った時に、銀座のアップルストアで第6世代の iPad を買った。いつまでも使ひ続けることができると信じて使ってきた iPad であるけれども、他のデバイスとのクラウドのファイル共有などで使用に耐へられなくなって来た( Numbers のアプリなど)。いまや我が家にとって iPad は娯楽の道具である以上に、生活管理のための重要なアイテムとなってゐる。それでやむなく新しいのを1台買ったのである。この時、キーボードのついたカバーも一緒に買ひたかったのだが、日本でそれを買ふとスウェーデン語特有の文字がキーボード上に無いので買はなかった。スウェーデンに戻ってから、キーボードのついたカバーだけをネットで購入した。別に急いで欲しいものでもなかったから、特急便は頼まずに、時間はかかるが送料無料の送り方で送ってもらふ様に注文した。1週間ほどで届きますよと連絡は来たのだが、予定日を何日過ぎても届かない。痺れが切れて電話をかけて文句を言った。どうも輸送の途中で製品が紛失したらしい。電話の相手はすぐに同じ製品を発注してくれて翌日には手元に届いたからまあ良かった様なものだけれども、どんな状況でさうなるのか、小包がひとつ輸送中に消えるなど、文明国にあってはならない出来事ではないかと思ふ。ここから話が飛びます。僕はスウェーデンではアマゾンを使はないし、あまり使ってゐる人も知らない。もしどうしてもアマゾンを使ひたいなら、アメリカやイギリスのアマゾンから買ふことになるのだと思ふ。すると荷物を受け取る時に更に税金を払ふことになるのではないかと思ふ。なぜ、スウェーデンでアマゾンが出遅れてゐるかと言へば、多分、日本の様に宅急便のシステムが発達してないからであると思ふ。アマゾンは巨大であるから、独自の輸送体系を築くのかもしれない。だが、最近、日本で宅急便を利用してみれば、一昔前の様な割安感はない。高めの料金設定で需給がバランスしてゐる。もしアマゾンが割り込んで来なければ取り扱ひ貨物の量はグッと少なくてすみ、昔の価格体系がもっと長く維持できてゐた筈だと、僕は思ってしまふ。自分でも便利さを享受するから同罪であるのだが、その意味ではあまりアマゾンに良い印象を持たない。むろんアマゾンひとりではない。通販の時代の課題と思ふ。

 

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行き交ふ人もなき里の 紅葉見るこそあはれなれ