次世代原子炉

木 旧暦 12 月 30 日 大安 戊寅 三碧木星 Sigfrid V07 25209 日目

3日ほど前の日経電子版で、「ゲイツ氏の原発 中国へ」といふ記事があってちょっと気になった。この原子炉は劣化ウランを燃料に使ひ、最長100年も燃料交換不要で、メルトダウンなどの危機に対する安全性も非常に高いとされる。非常事態が起きても運転員のアクションは不要で、電源がなくても原子炉を停止させることができる。その様な安全性の考へ方は Passive safety と呼ばれる。ビル・ゲイツ氏は将来の安全な原発開発の旗を振ることから、それは「ゲイツ原発」とも呼ばれる。次世代原子炉については、いろいろな種類の開発が日本でもかなり進んでゐたが、2011年の福島原発事故以来中断してしまった感がある。今の日本の商業炉の殆どは原理的には半世紀前に開発された技術に基づくものである。一旦建設されてしまへば、それを何十年も使ひ続けなければならない。現代の様に技術革新の早い時代に、半世紀も前の基本原理を引きずらなければならない原発は、その意味で辛い運命を背負ってゐる。この点、ハードウエアが小さくて取り替へやすく、さらにソフトウエアを随時更新することで新技術の成果を常に享受できるコンピュータ関連分野とは大きな違ひがある。福島でのあの事故以来、日本では「原発」と聞くだけで「もう結構」といふ雰囲気が強い。実際、再生エネルギー、電力の分散化、スマートシティなどが開発されて来てゐる。人口も少なくなる傾向の日本では電力需要は増えないのかもしれず、脱原発が意見の主流を占めるのもわからないではない。だが、一方で、電気自動車の普及、コンピュータ使用電力の増大(AI は膨大な電力を必要とするものらしい)、果ては、製鉄所などまでもが脱炭素社会を目指すといふ傾向の中では、今後電力需要が拡大する要素も決して無視できない。さらには、アッと驚く様な危機に見舞はれて、再生エネルギーが危機に晒される場合もないとは限らない。安全な電力の多様化を目指すことは、今を生きる人たちの大きな責務であると僕は思ふ。「原発」と聞くだけで無批判に反対する態度は科学的とは言へない。今のままでは、エネルギーの分野で、日本は世界に遅れをとってしまふかもしれない。