合理と不合理の間に

2024-02-09 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 12 月 30 日>(大安 癸卯 四緑木星) Fanny Franciska    第 6 週 第 27394 日

 

数日前のブログにも書いたが、徳川家康の遺訓といふものを、年老いた僕は見直してゐる。ただ、この忍耐第一主義は適用する範囲を間違へてはいけない、といふ気も同時にする。忍耐第一主義は、合理的精神とは相容れないものがあり、何かコトが起こった時に、それが運命だから仕方がないのだと自分に言ひ聞かせてしまって、その原因追及をうやむやで済ませてしまふリスクがある。大学時代のドイツ語の時間に、ある先生が「人間は合理的なものと不合理なものとの間で悩むものだ」といふ風なことを言はれたのが耳に残ってゐる。ドイツ語の方はすっかり忘れたが、この言葉はなぜか覚えてゐる。なんでも合理的に割り切って生きるのは良くないが、逆に不合理なことをどこまでも受け入れるあまりに批判の精神を失ってしまふのも良くない。先の戦争で、アメリカが原爆を開発してゐる時に日本は竹槍でいくさをしようとしたが、これは不合理な生き方の悪しき例の最たるものと思ふ。日本がその様な状況に至ってしまった原因のひとつは、国民がみな、徳川家康以来の忍耐第一主義を奉じてゐたからではないか。忍耐することも大事だが、合理的に批判する精神も同時に併せ持たなければならない。行き過ぎてもいけない。そのバランスの取り方はかなり難しい気がする。徳川家康の遺訓を読む時は、両手をあげて同意するのではなく、そんなことも思ひ合はせながら読まねばならないと思ふ。

また冬に逆戻り