Is peace attainable?

2023-08-16 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 7 月 1 日>(先勝 丙午 三碧木星新月 Brynolf    第 33 週 第 27217 日

 

例へば「道にゴミが落ちてゐたら拾ってゴミ箱に捨てませう」の様な、具体的でわかりやすい指針があって、それに従ってさへゐれば平和が叶ふといふのであればどんなに楽かなと思ふ。平和を守るために個人は具体的に何をすれば良いのかといふ問ひは、問ふ方にも問題があるかもしれない。「いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ」人間といふ生き物は欲望を持つ様にできてゐる。欲望と欲望がぶつかり合って戦争になるのは自然の成り行きだ。プーチンだけが特別なのであって、この人だけが特に悪いといふのでなくて、誰もがちょっとしたことでその様になってしまふおそれがあるものだと思ふ。それを防ぐために、昔から日本には、「和をもって貴しとなす」といふ憲法がある。社会の中で自分ひとりが欲望を抑へても他の人たちは自制しないかもしれない。また自分では欲望を抑へたつもりでも他者からは「なんて欲の深い」と見られることもあるかしれない。自分ひとりが閉じこもって禁欲的になっても世界に平和が訪れるわけではない。いつの時代も人に欲望がある限り、動乱を誘ふ要因は潜在的にある。これは永遠の課題だと思ふ。あらゆる平和には、きっとその陰に誰かの献身があると思ふ。その忍耐無くして平和はありえない。平和であることが当たり前だと思ひ、自己主張だけしっかりやって、何の忍耐も引き受ける覚悟を持たなかったら「戦争はいけない」と呼びかけても虚しいのではないだらうか。結局は心の問題といふか宗教的なアプローチなしに平和実現は難しいと思ふ。誰がどこでどれだけの忍耐をすべきなのか、そしてそれは相手にもわかってもらへるのなのか、いつも考へないといけないと思ふ。

Nyköping の鉄道の駅舎。今このそばに新しい resecentrum が建設中。